2011/09/29

今日も、映像編集中!
お昼に、発送作業のため、
ヤマトに走りました。

田んぼの彼岸花に目を奪われました。


今日のいのちを、輝かせています

田んぼの畦に静かに咲いている
彼岸花に、勇気をもらう。
今日も、生きよう。

冬支度

おはようございます
昨日は、毛布を引っ張り出して
お外に干しました。


原発の放射線は、311以降、ずっと大気中に
撒かれている。
自宅が香川といえども、
なるべく外に何かを干すのは
避けているのですが
暑い夏を超えて、虫干しも、必要ってことで・・。

福島・近隣の方々・関東の方も、
布団干しひとつ、
いろいろ考えては
思い悩まなくてはならないのでしょう
福島に住む友人の事を想う。

今日も、昨日の自分を越えるべく、がんばります・・!
あきらめず、前に。

2011/09/28

半年が過ぎて

9月がもうすぐ、終わります。

今月の11日で、東北の地震と原発事故から
半年が経った。
自分自身、4月に2回福島に行かせていただき
石巻(宮城県)には1回ボランティアとして
行かせていただきました・・。
その後も、すぐに又、行こうと思っていたのですが
思いがけない祖母の入院で
こちらに集中する必要が出て、ボラ参加は、一旦見送り。
神戸の病院と、自宅香川を
行ったり来たりしながら
合間に仕事をしながら、
どんどん明らかになったのは
日本政府と東電の発表が嘘だったという事。
(事故当初、東電は「メルトダウンしてない」等
発表していたが、
次から次から、
それが嘘だった事が、遅れて報道されていきました)

結局今、明らかになってしまったのは
「チェルノブイリよりも深刻な
史上初の、放射線被害が
今、日本で起っている事」
そして、半年経った今も
事故の収束も行われていないばかりか、
今日この瞬間も
「収束の目処」すら、見えないまま
放射線を出し続けている、ということ。


私個人の生活としては、
最近になってようやく
祖母の容態が把握できてきた。

症状も、目に見えて向上はないけど、
現状維持が続き、そういう意味では
症状も安定してきた・・。

そして、311以降、完成を延期した
肝心の
映画「魔法の9」の動向。

福島を横目に
「今年の夏も絶対、
いや今年こそ、
広島と長崎に行かなくてはならない・・」と
つよい欲求に突き動かされて
夏の取材に出かけた。

取材や雑事に追われ
9月まで後を引き、
今ようやく、とりあえず、一段落した。

数ヶ月、がむしゃらともいえた
状態で、身体も精神も
ようやく、この2・3日で緩める
事ができたように思う。

つくづく考える今。
このまま福島の現状を黙ってみていては
日本は終わる。
政府は、このまま福島に対しては
何もしないつもりだ。
それどころか、原発の再稼動まで
本気でやろうとしているようだ。

しかも、「福島の原発を調査する」ため
という口実で、
アメリカから「無人偵察機」を購入するようだ。

防衛省、事故対応に無人機 3次補正案で10億円
(毎日新聞 2011年9月18日)

数十億円の代物を。
福島や近隣県の方の補償になぜ廻さないのか?
なぜ、「今」数十億で軍用機を買わなければならないのか?
こんな政府なら、要らない。
国民を守らない政府なら、必要ない。

※「偵察機」とは名ばかりの、
この航空機は、離れた司令塔から操作して
海外に、飛行機を飛ばす事ができ、
ミサイル攻撃も、自在にできる、
といった物。
(※この数年、アフガニスタンでは、多くの罪のない市民が
この無人偵察機のミサイルで
殺されています。
詳しく知りたい方は、以下に
無人偵察機の被害をまとめてあります。
ご参照下さいませ
無人偵察機(無人爆撃機)の被害 まとめ 

本気で生きるとはどういうことなのか
今、真剣に自分の行動を
内省し、明確化していかなければ・・。


大事なのは
守れる命を、みんなで守ること。
それしかない。
今やることは、それしかない。

そして考えるのは
「自身は、そこでどの役割を担うのか」
砂一粒でもよいから
その全体像の一部を、担いたい。
最も、今の自分に適した方法で。

その内のひとつは映像。
映像で人を繋げたい。
(それだけに拘るのは、私は避けたいが。
例えばアフガンでは、
綺麗な水を子ども達に飲んで欲しくて
カメラを置いて井戸掘りを模索した)


更なる精進を目指します

2011/09/27

忙しくて歯医者に行く暇がなかったのですが
昨日、ようやく行ってきました。
昔、虫歯になって、削った歯で
被せていたものがとれて、
そのまま放置してたら、磨耗していたところに
更に虫歯が・・

一生懸命、その部分を支えてくれていた
その、小さくなっていた歯を
抜いてもらいました

ごめんね
ありがとう・・

自分の一部にさよならするのは
せつないですね・・
残りの歯、大切にします

2011/09/26

おはようございます

最近は、朝夕はだいぶ冷えてまいりました
いかがお過ごしでしょうか?
日中の陽射しは、かなり強く残暑で、
この寒暖差は、驚くほど・・。
やはり、温暖化の影響かな、予測できない
気候が続いてます。

今から早朝ハイク行ってきます
身体が資本♪
体力つけて、冬の製作に気合いです♪

2011/09/25

絶賛労働中なう!
某ケイタイ会社の、野外キャンペーンしてまふ ( ̄0 ̄)/"

2011/09/23

おやすみなさい~

けふは、朝から派遣ろうどう --m
出勤前と、
帰宅後の2回に分けて、
サポーター会員さん宛てに
メール・ニュースを配信。
ようやく、今日一日の作業、終わりました~ ^^/



2011/09/22

山本太郎さんが告発されましたが、ダイブ疑問です


◆原発抗議で 俳優 山本太郎さん告発 佐賀県庁侵入容疑
(共同通信(2011年9月21日)
http://www.47news.jp/CN/201109/CN2011092101000895.html

(以下、転載)
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
佐賀県の玄海原発2、3号機の再稼働をめぐり、
佐賀県庁に侵入し抗議活動した
として建造物侵入などの疑いで、
俳優の山本太郎さん(36)ら数人
を京都市の行政書士の男性(27)が告発、
佐賀地検が受理したことが21日、
地検などへの取材で分かった。

 山本さんらは7月11日午後、
反原発団体のメンバーら約150人と佐賀県庁を訪れ
、「人の命を犠牲にする電力なら使いたくない」
と再稼働への抗議活動を展開。
県庁内に入って古川康知事との面会を求めたが、
えないまま職員に請願書を手渡し立ち去った。

 告発状では「バリケードを乗り越える
などして県庁に入っている」などと指摘。

(転載終わり)
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


上記で、
山本太郎さんが告発された理由となっている
「佐賀県庁での抗議行動」
実は、この日の様子が
過去に、テレビで報道されていた! 


山本さん、「県庁のバリケードを超えて、侵入」どころか、
熱くなるほかの方々を、冷静に諭したりしていますが・・。
どうしてこんな告発が、受理されたのでしょうか・・?
ただ、報道を鵜呑みにしていては
大きな見当違い
を自身が、犯してしてしまうかもしれない、
ということが証明されるような、上記の事件。
今こそ、自身のアタマで考え、
ものごとを検証していくことが
求められているようですね
さあ、今日も、1歩でも前に進もう・・!

山本太郎さんの応援者は、
逆に、増えていくんじゃないかな?

2011/09/21

台風15号

おはようございます
台風15号の影響で、各地で警報が出ている模様です
香川にも、大雨警報が出ているのですが
昨日から、かなり強い雨が降り続いています

名古屋では、かなりの高さまで
雨量が来ている、と報道されていましたが・・
大丈夫でしょうか?

全国の被害が少しでも
少なくなればよいのですが・・。

また、東京の経産省前にて
ハンガーストライキをしている若者達が
ぶじ、今日までの行動を終えられますように・・

何もできないながらも、せめて祈ります

2011/09/20

台風さま接近につき・・

本日出発予定だった
東京取材は
延期とさせていただきました。

今、香川ではすごい量の雨が降り続いております
出発して立ち往生するよりは
次の機会を待つほうが
どうやら、得策です
(到着してすぐ、その日の夜行で
トンボ返りして、派遣ろうどうの予定だったので
帰れなくなったら、大変なのです・・。
残念ですが・・。 --m;)

さて!
気持ちを切り替えて
貯まった仕事を地道にこなして
参りますよ~(^^)

ちなみに、以下を取材予定でした。
明日、東京で「重慶爆撃の裁判」があります。

日本軍が中国で行った爆撃の
被害者の方が、訴訟のため来日されます
今まで前田は、重慶爆撃の裁判を
何度か傍聴させていただき、
被害者の方々のお話をお聞きしました。

彼らの話を聞くにつけ
日本では知り得なかった、
「過去の日本」が浮かび上がってきました。

彼らの受けた損害は、物理的にも
精神的にも、今に影響し
「まだ戦争は、終わっていないのだ」と
無力に実感してきた日々でした。
まだまだ、前田には
「過去の日本で起った事を知る」
「過去の戦争を知る」
勉強が必要です
さらに、動き、さらに広く学んで参ります
そうして、今出来ることをしていきたいです

もし、関東圏の方、よろしければ
裁判を傍聴してみて下さいませ。

9月21日(水)午後3時30分から
東京地裁であります・・!
(詳細、以下です!)
↓ ↓  ↓
重慶大爆撃 

原告の方が
なにを訴えに、
高齢の身体をおして、
高価な費用を捻出して、
中国から来日されるのか?

身体で感じてほしいのです

これからの日本をよりよくしていくには
あらゆる角度から
日本の過去の歴史を見ていくことが
大切だと思うのです

(「原発や災害で、大変。」
「過去の戦争に関われるほどの余裕がない」
そんな風に感じられる方も多いかと思います。

前田には、すべてが繋がって見えています。

過去を正視しない限り、歴史は
同じことを、かならず繰り返す。
「知る」ことは
(一見遠回りに見えるかもしれませんが・・^^;)
必ずや、現状を打破し、
未来を変えていく原動力になる。

「今」を変える為、
前田は、過去を正視する道
(伝える)を行いますが
皆さまも又、お1人お1人の
お役割の場所で
今できる最善を尽くして下さっていると思います。

それぞれが、自身のお役割をして
そして、繋がって参りましょう~~

2011/09/19

おはようございます

今日は東京で、5万人規模?の
脱原発デモがあるとか・・

前田は今日は働きますが
心より、応援しております
地方の方々も多く
駆けつけるようで
報告に期待しています

では、夏取材しすぎで、ほとんど
働けてなかったので
今日は気合い入れて働いてきます!

アッシュさんに会ってきました

今日は、日帰りトンボ。
今日中に帰れたのは、奇跡的

1年ぶりに会った、
イラク帰還兵のアッシュさん。
お元気そうで良かったです・・

彼の
イラク戦争従軍の際のお話を聞いて
またさまざま感じるところありました。
また、改めて書かせていただきますね
(すみせん・・)

明日は早朝から派遣ろうどう♪
とりいそぎ帰宅報告までにて♪


2011/09/18

高速バスより。

おはようございます(^∇^)
先ほど、ギリギリで、バスに乗り込みました

今日は、イラク戦争の帰還兵、アッシュ・ウールソンさん
に会いに、
滋賀県まで遠征です

昨年、同行して撮影させていただいたDVDを、
お渡ししに行ってきます

約1年ぶりのアッシュさんのお顔を拝見するのが
楽しみです

行って参ります!

2011/09/17

【アフガンMMCC緊急募金】ありがとうございました。

みなさま、遅くなりましたが、以下、
ご報告です(^^)

【アフガンMMCCへの募金に
ご協力・応援下さった皆さまへ 】
  
皆さまの暖かいご支援を受け、
8月30日に、計150万円を
アフガンに送金できたそうです(T T;)
(JAPAN-MMCC理事長より。)
本当に、本当に、ありがとうございました!!
深謝です!(T T);;
今後は
アフガンっ子・チャリティーカレンダーの
販売が予定されています♪、
年内いっぱいは、アフガンMMCC存続の
サポートのため、広く
ご寄付を募る予定だそうです。
以下、引続き、ご支援方法の、詳細です♪
何卒、よろしくお願い申しあげます♪
 (お願いばかりになってしまい、
本当に、申し訳ありません・・><)
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
☆緊急支詳細☆ http://www.japan-mmcc.com/

●口座情報
ゆうちょ銀行 振替口座 00160-8-352345
※銀行からは、 〇一九店 当座 352345
特定非営利活動法人 みんなの夢の音楽隊 



☆お知り合いに、上記の映像を
お知らせいただけたら、幸いです♪


●ご参考までに・・
私が、2006年、
アフガンMMCCを訪問した際の、拙日記

☆Afghan-MMCC(英語) http://afghanmmcc.org/




☆MMCCに、通ってくる子どもたちの90%は、
アフガニスタン各地からの、避難民。
その50%はバーミヤンからの、避難民。
中には、孤児院から、勉強しに
通って来る子もいるとのこと。

編集協力:NABE様、多謝・・!(^^)/

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

前田は、映画が完成したら、
この子達に、会いに行くつもりです! (・・と宣言 --m)

最後のダッシュ

今日の作業が終われば、
ひとまずの、夏取材のピーク、
越えます。

勝負!

雨の音を聴きながら・・。

2011/09/16

イラク帰還兵のアッシュさんスピーキング・ツアー始まります

イラク帰還兵のアメリカ人
アッシュ・ウールソンさんが、今、来日されてます

スピーキングツアーが、18日から
いよいよ、始まります!

学費の為に軍隊に入リ、
PTSDとなった彼の生の声を、是非
一度は聞いてほしいです。

アッシュさんは、今回で4回目の来日です。

まだ、お話聞いてらっしゃらない方は、
ぜひ、アッシュさんに会いに行ってみてくださいませ


 


ラスト・スパート!

8月9月と怒涛のスケジュール
でしたが、今、ようやく最後のピークの
山場にいます。
ひきこもって編集中でっす!

ここまで来れたのも、たくさんの方が
ご協力くださったからです
本当にありがとうございました・・!
さあ、あとひとっ走り!

(なかなか、記事の更新できなくて
申し訳ありません。この山場を超えたら・・
もう少し、待っていただけたら幸いです・・!
がんばります><)

2011/09/15

反省からのきょう。

おはようございます
香川の自宅に帰ってきたなう。

嵐の数日間を無事終えることができ
少々、ほっとしおります('ー')

9月11日に、香川県高松市での
脱原発デモに取材参加させていただきました。

半年前、6月11日にも行われたのですが、
(611アクションの動画はこちら→)http://www.youtube.com/watch?v=VIHjvD4Au10


人数は、残念ながら、少なくなっていたようです。
私自身、忙しさに、ついかまけて
この日の告知ができておらず、
たいへん反省させられました。
(勝手に、「原発事故の収束も
以前611から、変わっていないのだから
皆さんも、危機感を、持ってらっしゃるはず。」
なにか、行動をせずにはいられない人も
多いはず。」

そう思っていたのでした。
はい。
反省です。
まだまだ、力不足でした。
(※911アクションの動画は・・
少々お待ち下さいませ~^^;
順次、依頼された仕事が終わってから
励みまっす・・!)

そして、9月13日。
東京で、NPO 太平洋戦史館
の総会に、参加させていただきました。

こちらでも、おおいに反省させられる、
多くのたいせつな情報をいただきました。

私は昨年、こちらに同行させていただき
西部ニューギニアに行きました。
「未帰還兵捜索 民間外交使節団」の一員として。

ここでは、たくさんの放置されている
旧・日本軍のご遺体(遺骨)を知りました。
現地の方々にも、
「掃除してほしい」と言われ、
大変申し訳なくも、思いました。
(本当に、すこし土を掘るだけで、
ご遺骨や、鉄兜などが
出てきます。)

日本政府は、1975年に
「遺骨収集は、おおむね終了」と宣言して以後、
民間から報告があった場合のみ、
収集を検討、という形をとっている。

今でも、数えれない多くのご遺体が
アジアでは、野ざらしのまま、放置されています。


(上記のご遺体は、太平洋戦史館の
方々の日本政府への
働きかけで、ぶじ、日本に帰還されました。
よかったです・・ 。-_-。)

戦後66年。
日本が一体、どんな戦争をアジア各地で
行ったのか?
私たちは、きちんと知っているだろうか?

そして、旧・日本軍の方々が今も
政府による
遺骨収集もないまま、
野ざらしになっている現状。


国のための戦争。
「徴兵の赤紙」は絶対で、
戦争反対を唱える人は
容赦なく、捕まった時代。

「国の為に」と行かされた人々が
戦後は、放置。
そして、野ざらしで66年が経った。
あまりにも、無念ではないだろうか?

兵隊だった彼らにも当然、
ご家族・子ども・大切な人たちが、いた。


今、ご遺族の方々と接していて、感じます。
「ある日を境に、
2度と帰らぬ人となった、肉親」を
思う気持ち。

戦後66年を経ても
いまだ癒えることが、ない。
どこで亡くなったのか、も
分からない。
ご遺骨も
遺留品も
なにも、
手がかりはないまま、
ある日を境に、2度と会えなくなる。
皆さんの肉親に、この事が起ったとき
あなたは、感情的にどう対処するでしょうか?
前田も、想像するだけで
胸にこたえるものがあります。


そして
戦場とさせられた
現地の方々は、一体
日本をどんな国と思っているでしょうか?

戦争が終わってからも
今も、彼らの生活の場に
ごろごろと、旧日本兵のご遺体が
放置されている。

日本は、きちんとした戦後処理を
おこなってきたのか?
おこなわなかった事による、
弊害は、
今、日本に豊かに暮らす
私たちには見えなくても
アジアの各地には
目に見えて、今も、顕著だ。
(現地の方々にも、お話を伺い、
とても考えさせられているのですが
この件は、また別の機会に・・。
とりあえず、映画で、詳しくは描ければ・・
と思っております。
今詳しく書けなくて、ごめんなさい)


さてさて、長くなってしまいましたが
先日、太平洋戦史館の方から
お聞きしたのは、
「さらに、今、旧日本兵のご遺骨の
帰還(遺骨収集)が
困難となってきている、現状。」です。

おおいに、考えさせられております(><)


まだ、間に合う。
まずは、知ろう。

忘れてはいけない歴史を、今こそ
しっかりと見つめよう。
そして、できることをして参りましょう。
たとえ、砂ひとつぶの行為でも。

前田、おおいに反省する秋。
今後、さらに「つたえる」ことに
尽力させていただきます

2011/09/14

神戸なう。

祖母の病院に行ってきました
夏の取材で私がバタバタしていた為、
病院に、約1ケ月も行けてなくて、めちゃめちゃ気になっていた。

祖母の顔が見れて、とても嬉しかったぁ(^∇^);

今日の夜行で、香川に帰ったら又、急いでとりかからなければならない仕事があります

ファイティーン(^∇^)/♪


●お詫びと訂正●
皆さま、昨日の日記に
「ニューギニアでの、旧日本兵のご遺骨は
まだまだ、あちらに野ざらしとなったまま、
更に回収が困難になってきている」と書きました。

これは、間違いでした。
謹んでお詫び申しあげます
正しい表現は
「回収」ではなく
「帰還」ではないか、と思います

誰にも弔われず、戦後66年、野ざらしにされてしまった・・
「国の戦争」として「国のために」戦ったはずが・・。

知れば知るほど、なんとかしたい問題です

取り急ぎ、お詫びと訂正までにて失礼いたします。
すみませんでした(>_<)

2011/09/13

終了!

新宿なう。

今日のミッション終了しました

今朝6時に新宿に着き、昼から
NPO太平洋戦史館の総会に参加させていただきました。

ニューギニアでの、旧日本兵のご遺骨は
まだまだ、あちらに野ざらしとなったまま、
更に回収が困難になってきている現状があるようです
昨年取材に行かせていただいた際の
映像を、どう活かし、伝えていくのか?


考えながら、夜行バスを待っています
(さっき、警備員さんに注意された。
ここ階段だから、座らないでください。
アイアイサー。)

2011/09/12

セーフ!

映像編集を終え、DVDを焼き、
駆け込みで5分前に、駅着いた!
フェリーの中で寝るぞ〜

明日は東京で
ニューギニアの遺骨収集をされている
NPO法人 太平洋戦史館の集会に参加します・・!

徹夜編集のつもりが、いつの間にか寝てた><
気合いで仕上げて、
午後から関東に向かいますなり!

2011/09/09

長崎から届いた、ご寄付

泣きました(T T)
毎年、8月の取材ではお世話になっている
長崎の、野口さんより、
お手紙が、届きました。

中には、以下のお写真が・・。

映画「魔法の9」の製作資金の
「1円5円募金」を、長崎でよびかけて
くださっていた、野口さん。
口座には、寄付金が、振り込まれて
おりました(T T);;

なんと、合計10万円を達成されました!(><):
もはや長崎に、足を向けて寝れません・・!
野口さんは、被爆2世として
精力的に、活動をされている、本当にスゴイ方。

( ちなみに、野口さんのお名刺を拝見すると・・

 長崎県 被爆2世の会 副会長
 長崎県 被爆者手帳 友の会 代表 
とあり、
その他、さまざまな活動を
されておられます・・!)

毎月9日には、長崎の平和の鐘を
被爆者の方々と一緒に鳴らし、
平和を祈り行動し続けておられる。


お礼のお電話をすると、お元気そうなお声が・・。
「被爆者の方々が、1円5円を、毎月持ち寄って
くださった、
そして、
長崎の、平和を願う方・平和団体の方々
たくさんの方に、ご協力いただいた」と(><;)

上記のビンの中の小銭ちゃん達を郵便局に
持って行ったら、機械で集計するのだけで、
1時間半かかったそうです。

(T T);;

野口さん、本当にありがとうございます
そして、ご協力くださった、皆さま
心よりお礼申しあげます

もう、断然、元気もらっちゃいましたんで
編集作業、がんばっちゃいます!! 深謝です
気合いいれて参ります。

2011/09/08

礼状

おはようございます
朝夕は、だいぶ、涼しくなって参りました
いかがお過ごしでしょうか?

先日、広島取材から帰宅すると
故高沢義人さんの奥様から、
おハガキが届いてました。

高沢さんより、以前お話を伺った際の
映像をDVDにしてお送りしたのですが
そのお礼のお手紙を
わざわざお送りくださったのでした。

「久々に、主人の姿をしのぶことができました」
と書かれていました。
写真も、故人をしのぶために
とても貴重なものではありますが
映像は、しゃべって動くので
また、さまざまなことを、見る人に
思い起こさせたりします。

私も、高沢さんに会いたくなったら
映像を見ようと思います

2011/09/07

ひきこもりん

おはようございます
ひきこもって、映像編集中です
気合い入れてまいります

2011/09/05

広島めっちゃ晴れ。

皆さま、いかがお過ごしでしょうか?
広島市内で、今日も取材中ですなう。
住宅街を移動中。ふと見あげた、広島の空。

アスファルトの熱で、スーツケースのタイヤが
とうとう割れました(^∇^);
今日も、はりきって参ります!

2011/09/04

台風通過 & 広島到着

先ほど、広島つきました!
めっちゃ晴れてます

今日も大切な会があります
また報告します!
路面電車を待ちながら。

2011/09/03

台風~

四国は、台風上陸が、本日の未明
と、予測されております☆
先ほどまで、がたがたと、すごい風だったのですが
急に、静かになりました。
ニュースによると
今回の台風は、「綺麗なドーナツ型だという事で、
「風が弱まったから、遠のいた」という訳ではなく、
強まったり、弱まったりするのが、特徴」なんだそうだ。
もしかしたら、台風の目(真ん中)に
差し当たってるのかな?

さて、今日の派遣仕事、現場まで辿りつけるなりか・・?

2011/09/02

おはようございます

編集・映像整理で、この数日、缶詰め作業です
今日が、山場!

眠い目をこすって、励んでいますp(*^-^*)q
コーヒーに助けられています

台風の影響、みなさま、存分にご注意くださいませ
よい1日を☆

2011/09/01

高沢さん、安らかにお眠りください

以前、お話を伺った、
高沢義人さんが、ご逝去されました。

2009年4月、千葉のご自宅にて。
宮古での兵隊の生活について
熱を込めて、語ってくださった、高沢さん。
・・といっても、高沢さんがご逝去されたのは、
実は、1月28日でした。

私は、数ヶ月も、これを、知らずにいたのだ。
高沢さんをご紹介下さった
知人から、ご連絡いただき、
ようやく、知った。

高沢さんとは、今年もお年賀状の
やり取りをさせていただいており、
まさか、そのすぐ後に、そのような事に
なっていたとは・・。

高沢さん、数ヶ月も
知らずにいた私を、どうぞ許してください。
ごめんなさい。
もっと、もっと、お話をお聞きしたかったです。


高沢さんは、補充兵として、約3年、
宮古島で任務を果たされた。
その際のお話は、相当にすごいものであった。

高沢さんが、お話中、
何度も、おっしゃったのは、
「宮古島には、
約2万人の日本兵が行ったが、
その約5500人が、餓死です。」
という言葉だった。

「日本軍の方針は、
医療・兵器・食糧など何も持って
行かずに上陸して、
略奪して、人を殺す。
そういうことを、繰り返していたんです。」と。

(※ 各戦地で、
「食糧の補給もなく、飢えで苦しんだ」話。
「現地住民から、食糧を略奪した」話
前田は、今まで、いくつも、聞いてます。

当時の軍の方針として
「現地調達」が、
方針とされていたようです。
今思うと、国の作戦として
大変無謀です。
兵士達は、
自分たちの食糧は
「現地で畑を作る。」
「現地で奪う。」等、強いられた。)


充分な食糧計画もないまま、
食糧の補給もされないまま、
兵士を各地から、
上陸させる。
当然、
飢えで、
病で、どんどん
兵士が死んでゆく・・。

高沢さんは言う。
「宮古島の人たちは
最初、兵士が来る、と聞いて
米軍から守ってもらえる・・
そう言って、喜んでいたそうです。
でも、実際上陸したら、
逆だった。
兵士は、住民に助けられたんです。
食糧も何も、
持っていないのだから・・。」
当然、それは、島民の分までを
兵士にあてがう事になる。
島の人たちも、飢えた・・。

そして
高沢さんは、衛生兵だったから
毎日毎日、死体を焼いては埋めることを
任務としていたのだという。

「でもなかなか、焼けないの。
当然、助燃剤もなにも、ないんだから。
バーナーで一体焼くのに、半日から
1日はかかる。
死体がどんどん運ばれてくるから、もう
死体の山ですよ。
中にはまだ、虫の息の者もいるのに、
兵隊達が面倒くさがってね・・」
3年間、毎日この任務をした、高沢さん。
いろいろ感じるのは、最初だけで
日々の中で、もう、何も感じなくなるという。

もちろん、みんな、終始、飢えていた。
みみずも、蛇も、蛙も、
とにかく食べれるものを、
飯ごうの中で煮て食べて、命をつないだ。

「私は兵隊は食べませんでしたが・・。」

皆さんは、ご存知でしょうか?
出版されている
旧・日本兵の戦時の回想録には、
兵士の遺体を食して、飢えをしのいだ例は
数多く、記されている。

・・上記、思わず、眉を潜めたくなる。
が、
死への危機を目前にした、飢えと渇き。
命の危機に、直面したとき、
人間がどういう行動に出るのか? 
それは、今、机の上で考えて、答えの出る
ものではないのだろう・・。
もちろん、
先の戦争の時代の人たちが、
とくべつに、凶暴だったりした、
そんな訳も、あるはずもなく。
「戦争は、人を追いつめる。
人を変える。
人を、人でなくす。」
私も、あなたも、同じ状況にあえば
同じ苦痛のなかで、もだえ苦しみ、
変わっていくのでしょう。


だからこそ、高沢さんは、伝え続けてきた。
凄惨を極める、戦争の実態を。
戦争の愚かさを。

高沢さんは、戦後、
夜も寝ずに、徹底的に考えたという。
「なぜ、戦争は起るのか?」を。
そして、悟る。

「一部の、利益を得る人のために
戦争が、起こる。」
そして、反戦を
一貫して訴えてこられた。

以下は、高沢さんの句だ。

「補充兵
われも飢えつつ
餓死兵の骸(むくろ)焼し
宮古(しま)よ八月は地獄」


高沢さん追悼の記事(宮古毎日新聞 2011年2月8日)


人間を、人間でなくす、戦争。
私たちは、もう2度と、繰り返さないように
学び、模索を今、続けて参ります。
今は、戦争こそ起っていないですが
原発の事故により
私たち日本人の生活が、未来が
脅かされている。
今こそ、みんなが繋がり、
本当の意味で助け合って
問題解決に、励んでいかなければ
なりません
今後とも、
微力ながら、励んでまいります
高沢さん、どうぞ、安らかにお眠りください
本当にありがとうございました。