2011/09/15

反省からのきょう。

おはようございます
香川の自宅に帰ってきたなう。

嵐の数日間を無事終えることができ
少々、ほっとしおります('ー')

9月11日に、香川県高松市での
脱原発デモに取材参加させていただきました。

半年前、6月11日にも行われたのですが、
(611アクションの動画はこちら→)http://www.youtube.com/watch?v=VIHjvD4Au10


人数は、残念ながら、少なくなっていたようです。
私自身、忙しさに、ついかまけて
この日の告知ができておらず、
たいへん反省させられました。
(勝手に、「原発事故の収束も
以前611から、変わっていないのだから
皆さんも、危機感を、持ってらっしゃるはず。」
なにか、行動をせずにはいられない人も
多いはず。」

そう思っていたのでした。
はい。
反省です。
まだまだ、力不足でした。
(※911アクションの動画は・・
少々お待ち下さいませ~^^;
順次、依頼された仕事が終わってから
励みまっす・・!)

そして、9月13日。
東京で、NPO 太平洋戦史館
の総会に、参加させていただきました。

こちらでも、おおいに反省させられる、
多くのたいせつな情報をいただきました。

私は昨年、こちらに同行させていただき
西部ニューギニアに行きました。
「未帰還兵捜索 民間外交使節団」の一員として。

ここでは、たくさんの放置されている
旧・日本軍のご遺体(遺骨)を知りました。
現地の方々にも、
「掃除してほしい」と言われ、
大変申し訳なくも、思いました。
(本当に、すこし土を掘るだけで、
ご遺骨や、鉄兜などが
出てきます。)

日本政府は、1975年に
「遺骨収集は、おおむね終了」と宣言して以後、
民間から報告があった場合のみ、
収集を検討、という形をとっている。

今でも、数えれない多くのご遺体が
アジアでは、野ざらしのまま、放置されています。


(上記のご遺体は、太平洋戦史館の
方々の日本政府への
働きかけで、ぶじ、日本に帰還されました。
よかったです・・ 。-_-。)

戦後66年。
日本が一体、どんな戦争をアジア各地で
行ったのか?
私たちは、きちんと知っているだろうか?

そして、旧・日本軍の方々が今も
政府による
遺骨収集もないまま、
野ざらしになっている現状。


国のための戦争。
「徴兵の赤紙」は絶対で、
戦争反対を唱える人は
容赦なく、捕まった時代。

「国の為に」と行かされた人々が
戦後は、放置。
そして、野ざらしで66年が経った。
あまりにも、無念ではないだろうか?

兵隊だった彼らにも当然、
ご家族・子ども・大切な人たちが、いた。


今、ご遺族の方々と接していて、感じます。
「ある日を境に、
2度と帰らぬ人となった、肉親」を
思う気持ち。

戦後66年を経ても
いまだ癒えることが、ない。
どこで亡くなったのか、も
分からない。
ご遺骨も
遺留品も
なにも、
手がかりはないまま、
ある日を境に、2度と会えなくなる。
皆さんの肉親に、この事が起ったとき
あなたは、感情的にどう対処するでしょうか?
前田も、想像するだけで
胸にこたえるものがあります。


そして
戦場とさせられた
現地の方々は、一体
日本をどんな国と思っているでしょうか?

戦争が終わってからも
今も、彼らの生活の場に
ごろごろと、旧日本兵のご遺体が
放置されている。

日本は、きちんとした戦後処理を
おこなってきたのか?
おこなわなかった事による、
弊害は、
今、日本に豊かに暮らす
私たちには見えなくても
アジアの各地には
目に見えて、今も、顕著だ。
(現地の方々にも、お話を伺い、
とても考えさせられているのですが
この件は、また別の機会に・・。
とりあえず、映画で、詳しくは描ければ・・
と思っております。
今詳しく書けなくて、ごめんなさい)


さてさて、長くなってしまいましたが
先日、太平洋戦史館の方から
お聞きしたのは、
「さらに、今、旧日本兵のご遺骨の
帰還(遺骨収集)が
困難となってきている、現状。」です。

おおいに、考えさせられております(><)


まだ、間に合う。
まずは、知ろう。

忘れてはいけない歴史を、今こそ
しっかりと見つめよう。
そして、できることをして参りましょう。
たとえ、砂ひとつぶの行為でも。

前田、おおいに反省する秋。
今後、さらに「つたえる」ことに
尽力させていただきます