2010/06/30

お勧め講演会・・!

みなさま、暑い日が続きますね
いかがお過ごしですか?(^^)
夏バテには、生野菜がよいですよ♪

さて、今、アメリカから,
ある青年が、来日しています。

イラク戦争に従軍経験のある
イラク帰還兵のアッシュ・ウールソンさんです。

沖縄での講演ツアーをぶじ終え、
今日は大阪・京都で講演と
ハードな日程をバリバリ、こなされているようです!

皆さまの地域で実施がありましたら
ぜひ、ご参加くださいませ
下記に、講演日程をリンクしました

私は、2日の光円寺さまに、おじゃまさせていただきます・・!
講演日程の詳細は・・   → → クリック
(以下、沖縄での記事です)

●詳しくは  → → 憲法9条メッセージ・プロジェクト

2010/06/27

もうすこし・・!

朝から晩まで、編集に没頭~
最近はすっかり、別の次元に生きてます♪
たぶん、はたから見たら、怪しいヒトです。
(いや、断言しよう・・ 充分に怪しい、と・・ 。 --m)

もう少しで、ユーチューブにアップできそうな手応え!

戦後65年目の夏に向けて、

よろしければ、どうぞ、「魔法の9」を支えてくださいませ(> <)
 よろしければ、ポストカードの購入が、
映画の製作支援となります。

書中お見舞いに、アフガンの子ども達の笑顔の
ポスト・カードはいかがでしょうか?
以下、詳細です。よろしくお願いしますっっ!( 切実 )
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      感謝と愛をこめて(´ー`*)

2010/06/25

シベリア特措法成立

みなさま、戦後65年を経て
ようやく「シベリア特措法」が成立いたしました。
シベリア特措法:成立 全抑協会長「我々にとっての勝利」
(毎日新聞 2010年6月17日)



私の尊敬している、
シベリア抑留の体験者であり、
平和活動家の猪熊得郎さんの
メールを、転載させていただきます。
日本の戦後処理について、改めて考えさせられます。
猪熊さん、ひとまずは、おめでとうございました。
いつも、大切で、貴重なことを伝えてくださり、
ありがとうございます


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
みなさん 猪熊得郎です。
「シベリア特措法」成立に思う

「シベリア特措法」が16日夜成立した。
感無量である。

舞鶴港に帰国した時、
祖国日本の美しさに涙した感激を忘れられない。

しかし、「八紘一宇」「大東亜共栄圏」の
美名のもと、「聖戦」に命を捧げよと、
私たち兵士を送り出した祖国日本の
冷酷な仕打ちを、深く胸に刻みつけられた
65年であった。

地獄の淵を這いずり、やっと祖国に
辿り着いたシベリア抑留元兵士たちは、
「シベリア帰り」という
ただそれだけで日本社会から阻害され、
職を求め、糧を得るのに必死の十数年であった。

私は中学3年15歳で、
父の猛烈な反対を押し切り
少年兵を志願した。
敗戦を関東軍兵士として中国東北部、
旧満州、公主嶺飛行場で迎え、
ソ連に強制抑留、そして昭和22年12月、
シベリアから祖国の土を踏んだのは19歳の年である。

私の故郷東京の家は空襲で
跡形もなく、私の帰国を誰よりも
喜ぶはずの父は、度重なる空襲を
生き延びつつも交通事故で前年になくなっていた。

2歳上の兄は、人間魚雷回天搭乗員として、
沖縄出撃途中戦死、18歳であった。
幸い3人の兄姉が肩を寄せ合い
私の帰国を喜んでくれた。

母校の中学を訪れた。丁度、学制が、
6.3.3.4制に変換するときであった。
「復学」のためである。
新制度の高校1年進学を申し出た。
応接したのは校長で、私が少年兵を志願したとき、
教頭として激励の挨拶をした。
「祖国日本の難局に,学業途中で戦場に赴く、
まさに日本男児の鏡、我が校の名誉この上ない」と万歳
3唱の音頭を取ったのがこの人であった。

懐かしさと期待に胸を膨らませた私に彼はこう言った。
「旧制中学4年終了の免状を上げるから
他所へ行って下さい。残った君の級友たちも学徒動員で
工場で働き勉強などしていなかった。
当時の学制で、旧制中学4年終了卒業となったのです」
「シベリア帰りとか、元少年兵など云わない方が良いですよ」

「生きて還って良かった」などの
喜びの言葉など一言もなかった。
迷惑げの「厄介払い」に、悲しさと口惜しさで
胸は張り裂けるばかりであった。
あの時の惨めさ、空しさ、悲しさ、
口惜しさは生涯消え去ることはない。

15歳から19歳の経歴を作り,
職を求め、時には、「経歴詐称」で首切りの口
実になる。何のための「青春」だったのだろうか。

私の軍人恩給は、「一時恩給」1万2千5百円、
1回きり。5年間の軍歴は「公務員」でないから
「年金」加算一切なし。そうしてシベリア抑留強制労働の
労賃を支払えの要求には、戦後処理は終わった
との政府の対応。この65年でした。

日本政府から天皇のため「国体護持」を条件に
労働力としてお使い下さいと「棄兵棄民政策」
で差し出され、国際法を無視したソ連
スターリンによって、不法に「拉致」され、
シベリアに抑留された関東軍兵士60万人。

零下20~30度の酷寒、薄ぺらな黒パン一切れ、
薄味の塩スープの食事の空腹、靴を削り
かみしめ耐えた飢え、問答無用、前代未聞の奴隷労働。
過酷な条件を加重する旧軍の階級支配の
圧政に兵士の命を守るための前期民主運動
(昭和22年まで)。
階級章を獲ることは、ソ連軍管理の集団組織を
破壊するものだとソ連軍からの弾圧、
昭和23年頃からのソ連盲従の
後期民主運動に日本人同士の対立と抗争。
シベリアの凍土の眠る6万人の元兵士たち。

給付金は25万円から150万円ということだが、
圧倒的部分は35~25万円。
青春を奪われた数十ヶ月に比べればほんの僅か。

しかし金額の問題ではない。不十分にせよ政府が謝ったのだ。

私たち抑留者は、長年の間、労働の対価が
支払われなかったとして、補償を
求めてきた。しかし、日本政府はこれまで
「戦後処理は終わった」と応じてこな
かった。 

法案は議員立法。条文に「補償」という
文言は盛り込まれなかったが、提案した
佐藤泰介・参院総務委員長は国会での趣旨説明で

「長期間にわたる強制労働にもかかわらず、
その対価が支払われていない。問題解決に
長い歳月がかかったことを社会全体として反省し、
その労苦を慰謝することが必要だ」と述べ、
給付金には補償・謝罪の趣旨が含まれている
ことを明言した。

のどに刺さった小骨が取れたようだ
しかし、課題は多く残っている。
シベリア抑留の真相解明だ。
何故こんな事が起こったのか。
そして、実態を明らかにする。
一体何人が抑留され、何人が亡くなったのか。
遺骨の収集を早く。
韓国、朝鮮、台湾、中国もと抑留者への補償。
次世代への継承

等々である。

私も長生きして、痛苦の体験を語り継ぎ
多少とも貢献できればと願っている。

(以上、転載おわり)

2010/06/23

沖縄慰霊の日

沖縄での、組織的戦闘が終わって、今日で、65年。
65年目の今日、いまだ沖縄では、「戦後」が来ていない。
以下、西日本新聞より、転載です


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

沖縄慰霊の日 「痛み」の共有を忘れまい
(2010年6月23日 西日本新聞 社説 )

 今日もまたはじまる/いつもの日常/
当たり前に基地があって/当たり前にヘリが飛んでいて/
当たり前に爆弾実験が行われている/そんな普通の一日?

 一見「平和」に思えるこの小さな島/
そこにいつの間にか当たり前ではない/
当たり前であってはならないものが/
入り込んでしまっていた

 普通なら受け入れられない現実も/
当たり前に受け入れてしまっていた/
これで本当にいいのだろうか?

 平凡な幸せを感じながら/ただただ
「平和」を望む今/簡単にこの違和感を/
無視していいのだろうか?

 少し長い引用になった。沖縄県宜野湾市に住む
普天間高校3年、名嘉司央里(しおり)さん
が書いた詩の一節である。

 沖縄はきょう、「慰霊の日」を迎える。
太平洋戦争末期の沖縄戦で亡くなった
人たちを慰霊し、あらためて非戦を誓う日だ。
糸満市摩文仁の平和祈念公園で行われる
今年の戦没者追悼式で、名嘉さんはこの詩を朗読する。

 沖縄は、国内で唯一、住民を巻き込んだ
地上戦が行われた。「鉄の暴風」と呼ばれた
米軍の激しい攻撃に加え、投降を許さなかった
軍部の方針が住民を「集団自死」に追い込んだ。
平和祈念公園にある「平和の礎(いしじ)」には、
24万人を超える沖縄戦の犠牲者の名が刻まれている。

 それから65年。戦後の沖縄は米軍基地と
隣り合わせの「日常」を強いられてきた。
日本本土が独立した後も、本土復帰の後も、
その「現実」は変わらない。

 国土の1%にも満たない「小さな島」に
在日米軍基地の75%が集中する。
日米の安全保障条約に基づくとはいえ、
「当たり前」の姿ではない。
沖縄はいまも重すぎる負担を強いられている。

 なのに、その傷口に塩を塗り込むようなこと
が続いている。沖縄の基地負担軽減は
日米両政府の約束である。しかし、14年前に合意した
普天間飛行場の返還さえ、いまだに実現しない。

 なぜ沖縄だけが基地の重圧と被害に苦しまなければならないのか。
そんな沖縄の思いに応えようとした鳩山由紀夫前首相は、
自らの力量不足と政治手法の稚拙さゆえに迷走し、
退陣に追い込まれた。

 鳩山前政権は普天間問題で結果的に
沖縄を裏切ったが、沖縄に押しつけてきた基地負担は本来、
日本全体で共有すべきものであることを国民に気づかせた。

 普天間高校の名嘉さんは言う。
「詩を通して、戦争につながるものがあるということ
は当たり前じゃないんだということを伝えたい」。
沖縄の思いでもある。タイトルは「変えていく」とした。

 戦没者追悼式に出席する菅直人首相が
名嘉さんの詩をどう受け止めるか。
沖縄に「基地の島」を強いてきた
歴代政治を変える出発点になればと願う。

 沖縄の「痛み」を共有する努力を、
私たちは忘れてはならない。「慰霊の日」に、
本土の「捨て石」となった沖縄戦の悲惨をあらためて思う。

(上記、転載 おわり)

心より、ご冥福を祈ります

2010/06/22

あの日の、火。


みなさま、おはようございます
昨日の大阪でのイベント
「いのちのおと」、
ぶじ、終了いたしました~
早朝、高松港に、帰り着きました☆

昨日の会場は、満員御礼で、熱い想い
若いネルギーであふれておりました!
原爆の残り火を使わせていただいての
キャンドル・ナイトは、お1人おひとり、
ご自身の心との対話を行いながら、
静かに深く、未来の平和を願っておられたようでした。


この原爆の残り火は、故・山本達雄さんが
原爆投下後の広島で、
叔父さまを捜索している際に、
地下室で消えかかってくすぶっていたものを
発見し、そのままカイロに移して、
ご自宅まで持ち帰ったことが発端です
(叔父様は結局、見つからなかったそうです)

こちらのサイトに詳しく、書かれていました。
※よかったら、ご覧下さいませ → クリック

この「過去に、多くの人間を焼いた火」に接し、
この火の前で、アフガニスタンで今日も
失われていく命 や、
過去の日本が関わった戦争で、犠牲になられた
すべての命に、想いを馳せました
前田もお話させていただき

「今の日本は、本当に、平和なのか?」
そんな、考える機会を、皆さまといただいたことに
感謝申し上げます。


過去に犠牲になられた多くの方たちを悼み
ご冥福を祈るには
やはり、同じあやまちを、私たちがくり返さないこと
だと、思うのです。
昨日の命は守れなくても、明日の命は守れるかもしれない。
今、きっと
できることはある、と、そんな勇気を、
「原爆の残り火」から、いただいたように思います

また、友人夫妻がお子さんを連れて来場してくださり
7ケ月の子の、はじけるような生命感に
いのちの輝きを感じさせていただきました
(ご家族揃ってのご来場、本当に会えて嬉しかったです
ありがとうございます)
更に、以前、講演に呼んでいただいた大阪女学院大学
ボランティア部の子たちも駆けつけてくださり、
再会を喜び合いました。感激でした

嬉しい再会に、いのちの輝きに
未来の平和への糧をいただきました。

主催くださった皆さま、スタッフの方々
本当にありがとうございました

2010/06/21

いよいよ、本日・・!!

みなさま、おはようございます(^^)
今日、21日・夏至の日。


いよいよ、本日、イベント当日を迎えました・・!
前田もトークさせていただきます

実は、さっき、原稿あげました(--)m
そして、虹っ子クッキーの
ラッピングを仕上げして、
高速バスで、熟睡しま~~す


平日の夜、でお忙しいかと思いますが --m
ぜひぜひ、近隣の方、
ご来場くださいませ♪
身体とハートを、そっと携えて
過去を悼み、再生する夕べをどうぞご一緒に!


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

~平和の火でキャンドルナイト~
い の ち の お と


(原爆の残り火をつかった 
小さな平和賛同・推進イベントです)

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

知っていますか


65年前、
広島に落ちた原爆の残り火が
“平和の火”と名付けられ
福岡県・星野村に今もなお
灯され続けていること


平和ってなにか
戦争ってなんなのか
凄く難しいけれど

戦争はやっちゃいけないし
命はうばっちゃいけない


この“火”をきっかけに

未来のため、

これから生まれてくる子どもたちや
愛しい人たちの世界のため、

今よりほんの少しでも多く
平和が広がりますように


祈りを込めて

キャンドルナイトを開催します

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

■開催内容
2010年6月21日(月)
18時半開場 19時半開演 22時終了予定
□会場 HAPPY café&琉球ばぁー『南ぬ風』(大阪市淀川区西中島1-9-16-1F)
(地下鉄御堂筋線『西中島南方駅』2番出口下車 東へ150m)
入場料金:一般2000円 ※高校生以下半額




■目的
 平和の火(広島原爆の残り火)について知り、触れることで、
戦争や命について、考える時間をつくる
そして、“命”についての話や音楽を通して、
命の尊さを再確認し、“未来のためにできること”を考える



■内容
・原爆の残り火の守り人“山本拓道”講演映像
 60年間、原爆の火を守り続けた故・山本達雄氏の御子息、
山本拓道氏の講演映像を通して、平和の火の真実を伝えます。

・“平和の火”のお話
なぜ、広島に落ちた原爆の火が、福岡県にのこされているのか
どのようにして、現在まで守られてきたのかなど
そこに込められたたくさんの人の想いを共有します

・ “前田しぶき”トークライブ
「原爆から65年~ アフガンから、いのちのメッセージ」

・長崎出身ミュージシャン“森源太”ライブ『生命』



■運営組織
実行委員長:大西雄史(かばちん)
事務局:藤井葉子(くらげ)
主催&事務局:NGO風人(かじぴとぅ)ネットワーク
協力:Candle Night 1pi:ce(キャンドルナイトワンピース)



■ステージ出演者

・前田しぶき(フリー・カメラマン)
2003年、知人の自主映画の撮影を手伝いアフガニスタンに初渡航。
現地の過酷な現状にショックを受け、井戸掘り支援等に、再訪する。
以後、さまざまな海外を含む取材を通して、日本が真の平和を築く事が大切なのだ、と痛感 。
現在は、「日本の戦争体験者と、現代の若者をつなぐ」ことのできる、
映画「魔法の9(ナイン)」を、製作中。 ブログ : http://mahou9.blogspot.com/




・森源太(長崎県出身のシンガーソングライター)
自分の歌一本で生きていく覚悟を決めると同時に、歌だけで生活ができるようになる。
『107+1~天国はつくるもの~』のテーマソングを作ったことがきっかけでカンボジアと出会い、カンボジア地雷除去イベント「ぜろ祭り」を開催。
28歳でカンボジアに移住し、唄いながら1年間をカンボジアで生活する。
現在大阪を拠点に、全国でライブ、講演活動を行う。 http://www.morigenta.net/



□NGO風人ネットワーク
「唄って踊って 平和をつかめ」を合言葉に、平和のためのお祭りを開催する仲間たちで、大阪市「風人の家」に事務局を置く市民団体。
その中心である「風人の祭」は、2009年は全国34箇所で開催、のべ2千人の実行委員と3万人をこえる参加者があった。
他にも「虹のまつり」や「ハッピー植林フェスティバル」などを開催、
毎年4月には内モンゴルでの植林ツアーも開催。



□Candle Night 1pi:ce(キャンドルナイトワンピース)
団体名には、平和の意味の「Peace」、ひとかけらという意味の「Piece」の両方の想いを込められている。世界中の様々な個性を持つ組織が主催し、様々な個人が参加するキャンドルナイトが“平和の火”を通して一つになり、真の平和に近づいていくことを目的に、
毎年夏至の日に合わせて、“平和の火”を使ったキャンドルナイトを提案している。
2009年は全国51会場、2010年は73会場で開催予定。

2010/06/20

せっせと

いよいよ、明後日に迫った、
大阪でのイベント → クリック
パワーポイント創りに、励んでおります・・!

~65年前の~
8月6日 広島に原爆投下
8月9日・長崎に原爆投下
8月15日  敗戦

この背景について、少しお話させて
いただきたいと思っております。
日本の行っていた、当時の戦争

今、アフガンで起こっている戦争

この2つの戦争に
市民の私たちは今、
何を感じ、考えていけるのか?

これからの具体的なアクション・生き方を
(リアル・ピース)お1人お1人が探っていく
きっかけになる、祈りの場になれたら、とても
嬉しいです・!(もちろん魔法の9のお話も・・!)

国は、歴史によって、創られる
過去を、手繰ろう。
未来に、つなげよう