皆さま、おはようございます
昨夜、香川に帰りました。
以下の写真、どこだと思われますか・・?
きっと、今回の、東北関東大震災の写真だと、
思われた方が、多い事と思います。
でも、答えは、違うんです。
上記は、おととい長崎で撮ってきた写真です。
???と思われた方、ムリもありません(^^;)
上の写真は、長崎の「軍艦島」の写真です。
取材に行ってきたのは、前田が
以前から、どうしても
ここに行きたかったためでした。
「棄てられた、島、軍艦島」
つまり、
1974年に、国策によって
廃島になった島。
この島では、
当時日本を動かす、
大きなエネルギー源となっていた<石炭>が
眠っている事が分かり、当時の日本政府により
石炭を掘り出すためだけに、
徹底的に整備されました。
当時の日本で、最も優れた技術と資本が
集った、「最新の生活」も、享受できたと
いわれます。
(当時はまだ珍しかった、テレビが、
各戸にあったというから、オドロキです)
たいせつなものを、守りたい
という、暖かな気持ちで、
今、想いを、つなげていこう。
さて、話は、
軍艦島に戻りたい、と思います。
取材を通して、
どうしても気になることが、ある。
石炭を大量に供給してきた、この軍艦島。
そこで
大量に働いていたはずの、
当時の朝鮮人労働者の存在が
全くと言っていいほど、
今の日本で、言い伝えられていない。
私が今回参加した、「軍艦島ツアー」に、
ガイド・ボランティアの方が数名同行して、
当時の説明等、して下さったのだが、
朝鮮人の方についての言及は、
一切、為されなかった。
当時の日本には、
朝鮮の方々が、たくさんいた。
さまざまな資料を見ても、
長崎だけでも、(少なく見ても)
3万人の朝鮮人がいたはずだ。
(中には、強制連行という形で、
日本に連れて来られ、
長年に渡り、過酷な、強制労働
を強いられた朝鮮人も
多数おられる事は
現在、さまざまな、資料によって、
証明されている)
人体への健康被害も言われてきた、
深い洞窟内での危険と隣り合わせの、
石炭を掘り出す作業。
この重大な役割を担った多くは、
朝鮮の方々だったはずだ。
仕事中の事故で、命を落とした方々も
数え切れないはずだ、と前田は当時の
資料を見ながら、推測している。
この数日の長崎での取材で、
「当時いたはずの、朝鮮人の存在」が
ほぼ、歴史から
消えそうになっていることに
本当に、心底驚いた。
彼らの1人1人は、
間違いなく、戦後の
日本の経済復興に、大きく寄与してくれた
存在であったはずだ。
彼らにも、家族がいたはずだ。
帰りを、ひたすら待っていた家族達が。
そう想うにつけ、
今の日本の、いわゆる「公的な施設」で
彼らの存在が、
一言も言及されていない事に
ある、違和感を、
感じてしまうのであります。
前田は、なんだか、
どこかで、気になって、
仕方がないのであります。
今後とも、この辺りを取材させていただきたいと
思います
今日も、砂一粒、できることを
して参ります・・!
今日こそ、先日の福島の写真をアップできるよう
がんばります・・!
Tweet
昨夜、香川に帰りました。
以下の写真、どこだと思われますか・・?
思われた方が、多い事と思います。
でも、答えは、違うんです。
上記は、おととい長崎で撮ってきた写真です。
???と思われた方、ムリもありません(^^;)
上の写真は、長崎の「軍艦島」の写真です。
取材に行ってきたのは、前田が
以前から、どうしても
ここに行きたかったためでした。
「棄てられた、島、軍艦島」
つまり、
1974年に、国策によって
廃島になった島。
この島では、
当時日本を動かす、
大きなエネルギー源となっていた<石炭>が
眠っている事が分かり、当時の日本政府により
石炭を掘り出すためだけに、
徹底的に整備されました。
当時の日本で、最も優れた技術と資本が
集った、「最新の生活」も、享受できたと
いわれます。
(当時はまだ珍しかった、テレビが、
各戸にあったというから、オドロキです)
当時の、軍艦島の様子。労働者をはじめ、
この事業に携わった方々が、大挙して暮らしておられた。
今、「電気 イコール 原子力」が、日本では
「当たり前」と思われており、
「世界の主要エネルギーは、石油。」
「石油がなければ、未来はない」くらいの
脅迫観念にも似た、考えが
今の世界を支配していますが・・
なんのなんの!
一昔前には、
石炭という資源が、神のように
「世界の主要エネルギーは、石油。」
「石油がなければ、未来はない」くらいの
脅迫観念にも似た、考えが
今の世界を支配していますが・・
なんのなんの!
一昔前には、
石炭という資源が、神のように
崇められ、もてはやされていた、
時代も、あったのだ~。
時代も、あったのだ~。
時代は、変わる。
過去から学び、
今こそ、
未来を読みましょう。
過去から学び、
今こそ、
未来を読みましょう。
うまくいかない物は、
変えていこう。
今こそ、
新たな次世代エネルギー
新たな次世代エネルギー
「自然エネルギー」へのシフトを
心から願います・・・!
心から願います・・・!
たいせつなものを、守りたい
という、暖かな気持ちで、
今、想いを、つなげていこう。
フェリーから臨む、今の軍艦島。 |
軍艦島に戻りたい、と思います。
取材を通して、
どうしても気になることが、ある。
石炭を大量に供給してきた、この軍艦島。
そこで
大量に働いていたはずの、
当時の朝鮮人労働者の存在が
全くと言っていいほど、
今の日本で、言い伝えられていない。
私が今回参加した、「軍艦島ツアー」に、
ガイド・ボランティアの方が数名同行して、
当時の説明等、して下さったのだが、
朝鮮人の方についての言及は、
一切、為されなかった。
当時の日本には、
朝鮮の方々が、たくさんいた。
さまざまな資料を見ても、
長崎だけでも、(少なく見ても)
3万人の朝鮮人がいたはずだ。
(中には、強制連行という形で、
日本に連れて来られ、
長年に渡り、過酷な、強制労働
を強いられた朝鮮人も
多数おられる事は
現在、さまざまな、資料によって、
証明されている)
人体への健康被害も言われてきた、
深い洞窟内での危険と隣り合わせの、
石炭を掘り出す作業。
この重大な役割を担った多くは、
朝鮮の方々だったはずだ。
仕事中の事故で、命を落とした方々も
数え切れないはずだ、と前田は当時の
資料を見ながら、推測している。
この数日の長崎での取材で、
「当時いたはずの、朝鮮人の存在」が
ほぼ、歴史から
消えそうになっていることに
本当に、心底驚いた。
彼らの1人1人は、
間違いなく、戦後の
日本の経済復興に、大きく寄与してくれた
存在であったはずだ。
彼らにも、家族がいたはずだ。
帰りを、ひたすら待っていた家族達が。
そう想うにつけ、
今の日本の、いわゆる「公的な施設」で
彼らの存在が、
一言も言及されていない事に
ある、違和感を、
感じてしまうのであります。
前田は、なんだか、
どこかで、気になって、
仕方がないのであります。
今後とも、この辺りを取材させていただきたいと
思います
今日も、砂一粒、できることを
して参ります・・!
今日こそ、先日の福島の写真をアップできるよう
がんばります・・!
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