2011/04/08

福島・聞き取りレポート①

 昨日の夜は、大きな余震があったようで、
皆さま、
大丈夫でしたでしょうか(><)?

さて、4月3日〜5日に、
NGO心援隊「(プチ)赤ちゃん引っ越しプロジェクト
に、ケアスタッフとして、
同行させていただき、
福島県に行きました。
(心援隊の皆さま、本当にありがとうございました!)
●NGO 心援隊 http://ameblo.jp/shinentai/


皆さまからのご協力で、
福島で暮らす方々から、
今の状況等、
直にお話を お聞きしました。

以下、長くなりますが、
良かったら、ご一読下さいませ

☆☆☆☆☆☆☆

私が行かせていただいた、須賀川市は、震災後、
3週間を経て、各店もじょじょに、
開店し始めており、一見したところ、
「大きな被害!!!」という光景は
今回、目にすることは、なかった。
(同じ福島県でも、沿岸部は、津波の
被害等、報じられており、そちらとは
また被害の規模が、違うようです・・
沿岸部は、今回は、行けませんでした・・)


須賀川市。一見は、日常の生活が戻っているように見えます。

・・が、よく見ると、 家の外のブロック塀が、
のきなみ、全部、倒れていたり。
古い家(土蔵のようなものが多い)の壁が、
ところどころ崩れ、はがれていたり。
墓石が、落ちて散乱していたり・・。
よ~く目をこらして歩くと、
街の隅々に、「地震の爪あと」が。

お墓のある場所では、墓石が落ちて、横倒しに・・。
映像から写真取ったので、
見づらいですね、ごめんなさい(><)

 ●以下に、4月4日時点で、現地の方に聞いた
お話を、書かせていただきます●

中には古くなった情報もあるかもしれない旨、
ご了承の上、ご参考程度に
お目通しいただけたら幸いです)
(※聞き取り場所は、
福島県須賀川市

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

前田商店経営の、前田さん

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 前田さんは、「自分も、一応被災してるんですが・・」
とおっしゃりながら、
4月4日、
全国からの物資の集積所となっている
「銀河のほとり」に、大きな
トラックで乗りつけた。

トラックで乗りつけた、郡山市の前田さん。

前田さんは、
ゴミが出ず、
地域の「地産地消」にも貢献する
「調味料の計り売り販売」や、
リサイクル商品の販売等、
画期的で斬新なアイデアで
地元メディアからも、注目されてきた
前田商店の経営者だ。


今回、震災の影響を受けて
現在、店は、閉めておられる。
今は日々、地元の支援活動に、奔走されている。
(前田商店  http://maedashoten.com/index.html
※現在、一時休業中。 )

比較的、放射能の影響が強そうな地域の、
物資状況を
調査する意味合いも兼ね、
本日は、福島原発30Kmにほどなく近い
飯舘村に、1人で行ってみると言う。

常に行くべき地域を、
リサーチしておられるご様子に、
頭が下がった。
(※この後、車のトラブルにより、行き先は変更。
主に、川俣町に物資を運ばれた。)



以下、前田さんの最近の活動から、
避難所の近況等、聞いた。

☆震災以後の皆さまの生活で、
あまりうまくいってない部分が
もしあれば、教えていただけますか?

→→
★前田さん:
今のところ、行政に市民の声が届く仕組みがない。
その為、市民・NPO団体・行政の
連携がならず、もったいない事態に。
前田さん自体は、市民から聞いた声を、
行政に届けに行ったりされている。

★原発から、20km30kmの地域からは、
一時的でも、待避した方がいいと、
個人的には思っているが、
ご親族がまだ帰ってこない方々は、
「娘っ子がまだ帰らない」等おっしゃり、
避難勧告地域に、残り続けているケースがある。
 前田さん自身は、
何か「捜索活動の、お手伝いができないだろうか?」と、
考えている、と。

☆物資に関する現状は、
以前に比べ入り出し、足りない物があっても、
隣の市まで行けば、手に入れられる
ような状況となりつつある。
なので、これからの支援の形として、
物よりはお金の寄付の方が、
スピーディーに動ける一助になるかも。
物資は、運ぶのにトラックの調達が必要だし、
義援金は使い途が限られている。

個人的に嬉しかったのは、
「見舞い金」をいただいた事だった。
自分はこれで、ボランティア達が使う物を買ったり、
休憩してもらうのに使ってもらったり、
ガソリン代にしたり、
車を借りたりした。

これから長期戦の支援が始まる中、
金銭的支援(寄付)は
有効に活用できる手段になると思う。」
明るく手を振って出発される前田さん。
前田さんは、お話の後、
届いた支援物資を
山盛りに積み上げ、
1人で、果敢に、各避難所目指して、
走り去って行かれました。
本当に、頭が、下がりました。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

●森農園の、森さんご一家●

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

「食べられるような、土づくり」
を実践し無農薬・有機農業を
行ってこられた、森農園
のご一家に、お話を聞いた。

森農園の野菜。
ご夫妻は、今まで1つ1つ、自らの手で、
安心と安全を示す、
上記のシールを貼って、出荷してきた。
                    
 原発事故の後の、記者会見。
「福島の農作物に、出荷停止」が
一斉にかかった。

森農園の奥さんの、まさこさんは、
その時の状況を、
「すごく落ち込んだ。
みんなで、ふさぎこんでいたんです。」とおっしゃる。


「表土に落ちている、放射能の処理の仕方が
まだ決まらないから、
土を掘り起こす等、農作業は、するな。」
との通達が出た。

「(農作物を)食べるな。」
「(水は)飲むな。」
「働くな。」
「外に出るな。」と言われた。



「息するな、とはさすがに
言われなかったけど・・。」
と苦笑される、森 文男さん

それから大体一週間くらい後に、
全部の調査があり、ハウス野菜は、
基準値以下が確認され、
出荷OKとなった。

・・が、そういった、詳細な対応が
為される前に、
政府によって
「福島県全域の、農作物すべて
の出荷停止」が
全国的に通達された。


その影響は凄まじいものがあった。
マスコミによる、一勢報道は
加熱し、
当初、まだ、
原発事故への不安から立ち直る間も、
なかった時期に、
現地農家にとっては、
2重・3重の打撃と
苦しみを、生んだ。

突然に襲った、人生の、死活問題。
一瞬にして、先がまったく
見えなくなってしまったのだ・・。


森一家は、家族会議を開いた。
そして、ハウスのホウレン草を、
みんなで「もうダメだから・・」と
刈った。

あっという間に、福島からは、
野菜が消えていった。
すぐに茨城・千葉でも、
放射性物質が検出された、との
報道が始まり、
入ってくる野菜も、影を潜めた。

・・が、そんな中、
「食べる野菜が、ない。
ぜひ、森さんの野菜を・・」と
以前からの、
森さんの、安全な農業を
支持してくれていた、
地元の方を中心に
野菜を、買おうとする人が、
森農園を、訪れ始めた。


ほどなく、
国による、詳細な検査がようやく行われ、
改めて、「ハウス栽培の野菜の安全性」が
確認された。
「基準値以下」が確認され、出荷できるようになった
ハウス栽培のニラ。
この日、ナマでいただき、その甘さと風味に
前田は、驚いた。こんなに美味しい
ニラを食べたのは、ホント初めてでした。
その後、森農園には、
さまざまなご縁から
じょじょに、全国からの
支援者が
「応援したい。できる事はないですか」
と訪れ始めた。
「生で食べて、本当に美味しい!」と
と驚きの声があがる。


「風評被害」という
根付いてしまったイメージに、
今後も苦戦が、予測される中、
そんな、思いがけない出会いと
こんな中でも、信頼してくれて
入ってくる注文に、
ご夫妻は、
「本当に嬉しく、有難い。」と笑顔を見せる。


「あぁ、
今まで、お父さんが 
やってきた安心農業は、
本当にすごい事を
やって来てたんだ・・!って、
あらためて、つみ重ねてきた事の
大きさに、気付かされたの・・。」

まさこさんが、感慨深げに、話してくれる。
奥さまの、森まさこさん。
「これからも、
安心の野菜づくりを、続けていきます。」と森さん一家。


ご自慢のニラの袋づめの手を休めて。
左端の息子さんが
持ってらっしゃるのは、お米。

息子さんからは、以下のコメントをいただいた。

「今、もしかしたら、福島には
どこの県よりも、頑張っている人が、
いっぱい いるかもしれない。
僕は、福島のヒトが、がんばってるんだって
ことを、細かく、伝えていきたいんです。

農業・工業含めて、震災に合う以上の
福島になることが、この震災に
ご支援くださった方々への、最大の
恩返しだと、思ってます。」

息子さんは、農家さんでもあり
音楽活動も、されてるとか。

「この震災に、ご支援下さった全ての皆さんに、
心から、ありがとうございます、と伝えたいです。

そして、お願いです。
是非、これからも、
正確な情報をつかんでいただき、
正確な判断をしていただけるように、
お願いします。
福島は、若い世代も含めて、
精一杯、がんばっていきます・・!」と
力強い笑顔を見せてくださった。


この後、しっかりとした造り
のビニールハウスに連れて行ってくれた。
入り口の何重にもなっているビニールの仕切りを
めくれば、1面青々と、旬のニラが植わっていた。

我が子を紹介する時のように、
愛しさで目を細めた、
お父さんの表情。
忘れられない。

一言メッセージをお願いすると
自身の事より、原発の作業員への
応援の言葉だった。

「今、原発の処理で頑張ってくれている人達のお陰で、
これからの福島がある。
みんなで応援しよう!!」と。

●森農園では、通信販売も行っておられます。
詳細・お問い合わせは以下まで
お願いします
森農園FAX 0248-78-2386
HP  http://plaza.rakuten.co.jp/ebisumai/
●●●●●
※最後に、前田の雑感です※

3.11以降、
私たちの生活は、
新たな価値基準で食品を見ることが
求められ始めました

何も私ごときが言わずとも、
皆さま、ご自身で
大切な判断を、日々されていることと
思われます(^^)

前田は、
今回の福島訪問で、
たくさんの、福島産の
食べ物をいただきました。
現地の方と触れ合いながら
生産者さんのお顔を見ながら・・。
本当にどれも美味しくて、しあわせでした。
(福島の自然は、懐深く美しい場所、と
実感させられました)

上記の森農園のご一家と接し、
皆さんの農業への愛情に触れ、
「農業」とは?
「いのち」とは?
と多く考えさせられています。
そんな森さん一家との出逢いを
活かしていけるよう、
前田は、今勉強しよう!と燃えております(^^)

すぐに学びを深めたいのが、
今後の、妊婦さんや
赤ちゃん・子どもたちの食べるもの、について
自分なりの考え方・基準を追及して参ります。
(放射能の影響の受け方は
赤ちゃんは、成人の100倍
胎児は、1000倍の影響を
うけると、いわれています)

今はまだ大震災・原発事故
からようやく1ケ月が、過ぎたばかり。

ご存じのように、
政府のいう事も次々と変わるし
専門家の意見も、人によって本当に、千差万別。
友人たちが言うことも、違います(^^);

こんなにも急速に、
「放射能と共存してゆく日本」を
迫られる事になろうとは・・。
誰が予想し得たのか・・この
1ケ月の、多くの戸惑いと、
大震災の大きな爪あと・・。

今後、上記の森さん(息子さん)
がおっしゃって下さったように

ひとりひとりが、

「正しい情報をつかみ、
正しい判断」をしていくことが
個々の幸せにつながってゆくのだと
と思います。

何をたいせつにし、
何を目指して、生きるのか・・。
ともに学びあって、進んでいけたら、幸せです♪

福島の皆さんに学んだのは
本当に今、助け合って労わりあって
おられる、ということでした。

「逆境に負けない」といわんばかりの
今後を語る、力強い目の光。
このエネルギー源は、
「信頼し合える、地域の横のつながり」の存在だと
感じました。
周りのみんなを信じてるから、
恐くないんですね(^^)
本当に学ばせていただきました。

どうぞ、皆さま、この取材記事に、すこしでも
感じるところがありましたら
「食」とご自身が、
この社会のなかで、どのように関わって
いかれるのか、
今一度ふりかえり、考え、行動する
きっかけにしていただければ
幸いです。


最後に、これ、今回は余談とさせていただきますが
前田個人は、
電力会社と政府は、もっと、被害を受けた
農家さん1戸1戸への、生活保障を
具体的に、しっかりと行う必要がある、と
考えています。 --m

この結論は、
今まで、私が、僅かながらも
電力会社や、原子力についての
取材や、学んだことから、きた判断であり、
今回は、詳しくは書かないですが・・。
まぁここで、発言してるよりは、
何か行動できないか、考えて参ります・・!
森さんご一家に、たくさんの感謝をこめて
ありがとうございます。   --m (前田)



☆☆☆☆☆☆☆


●比内地鶏(比内じどり)料理の店
<比内や>経営の武田さん


福島復興の鍵は、地産地消

武田さんは、郡山市に2店舗、
比内地鶏(ひないじどり)の
お料理を出す店を、構える。

比内や 経営者の武田さん。
「食は、一番大事なもの」が信条。

この店は、添加物を使っていない、味噌や
醤油、安心安全な米や
野菜を使った食べ物を、提供する。

先日、震災・原発事故後、
初めて店を開けたが、お客さんは
4名だけだった。

それでも、福島の復興を信じ、営業は続ける。
売り上げの5%は、義援金に宛てる、
と決めている。
(「どんなに、赤字でもね!」
「だから、いっぱいお客さんに
来てほしいんだ」と、武田さん)

お弁当販売も行い、1個から配達もする。
価格は、普段の設定よりも
「応援価格」を銘打っている。

「配達相談 可。お困りの方、お声かけください。」とある。
高齢者を意識して、1個から
配達できるよう、配慮している。
(4月4日現在のちらし)



武田さんは言う。
「今(の時代)、非常に
<食>が、軽々しく扱われている。

県内でも、
「他から買えばいいんじゃない?」
みたいな。(空気がある。)

でも、福島の人が福島の物を食べていく事が大切。
その為には、きちんと検査して、
(安全が分かったものは、)
どんどん、出していくことが、大切。

すでに、自殺者が出てしまったからね・・。

※ 注: 3月末、福島の野菜が、一斉に
日本政府によって、出荷停止の支持が出た際
有機農業の方が自殺された。 

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http://www.asahi.com/national/update/0328/TKY201103280468.html
福島の野菜農家が自殺 摂取制限指示に「もうだめだ」
(2011年3月29日朝日新聞)

 福島県須賀川市で24日朝、野菜農家の男性(64)が自
宅の敷地内で首をつり、自ら命を絶った。
福島第一原発の事故の影響で、政府が
一部の福島県産野菜について「摂取制限」
の指示を出した翌日だった。
震災の被害に落胆しながらも、育てたキャベツの出荷
に意欲をみせていたという男性。
遺族は「原発に殺された」と悔しさを募らせる。

 自宅は地震で母屋や納屋が壊れた。
ただ、畑の約7500株のキャベツは無事で、
試食も済ませ、収穫直前だった。
遺族によると、男性は21日にホウレンソウなどの
出荷停止措置がとられた後も
「様子をみてキャベツは少しずつでも出荷しないと」と話し、
納屋の修理などに取り組んでいた。

 23日にキャベツの摂取制限指示が出ると、
男性はむせるようなしぐさを繰り返した。
「福島の野菜はもうだめだ」。
男性の次男(35)は、男性のそんなつぶやきを覚えている。
「今まで精魂込めて積み上げてきたもの
を失ったような気持ちになったのだろう」

 男性は30年以上前から有機栽培にこだわり、
自作の腐葉土などで土壌改良を重ねてきた。
キャベツは10年近くかけて種のまき方などを工夫し、
この地域では育てられなかった
高品質の種類の生産にも成功。
農協でも人気が高く、地元の小学校の給食に使う
キャベツも一手に引き受けていた。
「子どもたちが食べるものなのだから、
気をつけて作らないと」。そう言って、
安全な野菜づくりを誇りにしていたという。
 遺書はなかったが、作業日誌は23日までつけてあった。
長女(41)は「こんな状態がいつまで続くのか。
これからどうなるのか。農家はみんな不安に思っている。
もう父のような犠牲者を出さないでほしい」と訴える。
(西堀岳路)
(以上、転載おわり)
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笑顔を絶やさずに、応対してくださる
武田さんに、私は、思わず、こう 聞いてしまった。

「津波や地震だけでなく
今回起こった原発事故に関しては
私には、明らかに人災に見えます。

皆さんは、理不尽にも
いきなり、その被害を一手に
受けられたわけですが、なぜ、
そんなに力強く、
明るく前向きになれるのでしょうか?
その、エネルギーの源は、どこに
あるのでしょうか?」と。

というのも、正直、私には、疑問だったのだ。

もし、私が皆さんと同じ立場だったなら・・

突然、つみあげて来た生活が
一瞬にして奪われ、
もう元には戻れない。
(今後、原発の汚染状況が
いつ、収束するかも、誰も
分からない。そんな先の見えない、状況なのだ・・)

自分だったら、
憤りも露わな精神状況に、陥るのではないか・・?
そう、感じてしまったからだ。

武田さんはきっぱりと言った。

「正直、自分でも、分からない。
何でこんなに、がんばれるんだろう?って
自分でも、思うことがある。

・・でも、ただ、人の役に、立ちたいんだ。
多分、それだけなんだと 思う。 
自分では、そう 理解してる。」

そして、
「これから、新しい時代が出発するんだ。
そう考えれば、前向きにも なれる。」 と。



「ぜひ食べに来て下さい。じゃ!」と
足早に車に戻って行かれる、
お忙しそうな横顔に、
しっかりと地に足をつけ、
未来を切り開かんする、
経営者の、意志の強さを、見た。

ほんの少ししか、お話できなかったのですが、
誠実そうなお人柄に、
前田、心より応援させていただきたい
気持ちでいっぱいになった。


★比内地鶏の店

比内や本店(郡山駅前)
http://hinaiya-sasuke.jp/index.html
郡山市中町7-19
いわた園ビル別棟
TEL:024-935-8048

比内やキッチン(串焼きと親子丼)
http://hinaiya-sasuke.jp/asaka/index.html
郡山市安積町荒井字六角田11番地
TEL:024-954-7974

☆☆☆☆☆☆☆
福島聞き取りレポート②に続きます