2011/01/17

本日、阪神大震災より16年

おはようございます
本日1月17日、
阪神大震災より16年目
を迎えました。
http://mainichi.jp/select/today/news/20110117k0000m040066000c.html

犠牲に合われた方々と、ご遺族の方々に
深く哀悼の想いを、捧げます。

今朝のニュースでは、
震災の障害の、後遺症に苦しむ人も、
まだいると伝えていた。
また、ご家族を亡くされ、
1人で入居した仮設住宅で、
孤独死した高齢の方が多く、大きな
問題となっていることも、
以前支援団体の方から、聞いたことが、あります(T T;)

私のことを、話させていただくと・・
阪神大震災当時、
私は、千葉に住んでいました。

テレビや雑誌で伝わる、
破壊の現状の凄まじさに驚愕したのを
覚えています。
自分に何かできないか・・と
悶々と考え、
結局、募金を振り込みました。

思い切って、今まで寄付したことのない
1万円を振り込んだことは
今思い出しても、
自分の中で、「何か大変なことが、起こっている。」
「助け合いの繋がりがなければ、この事態は
簡単に、収束されないだろう。」と、
自分が、今まで体験した事のなかった
未曾有の危機感を感じていた事が、伺える。

でも、本当は私は
実際に現地にボランティアに
行って、何かお手伝いをしたかったのだ。
心はそう叫んでいたのだと思うが、当時は
まだあまり、日本でのボランティアという
慣例もなく、(※「この大震災で、日本にもボラの
文化が一般に根付いた」と社会的には認識されている)
ひよっこの私は、関西まで1人で赴く、勇気がなかった。
募金を振り込むのが、精一杯だった。

そして、この時行かなかったことは
後に伝えられる、
被害に合われた方の報道と
あいまって、私に禍根を残した・・

この後悔をベースに、
後に初めて行った、
アフガンを始めとして、
私の中で、「現場に行く事の大切さ。」
いわゆる、現場主義が
確固とした、軸となった気がする。

事件は、現場で起きている。
「現場を見て、はじめて、本当に必要なニーズが分かる」
ことを、被害を受けた方と接して
息遣いを感じて、学ばせていただきました。

その後、
アフガンから帰国後まもなく、
中越地震が起きた時
私は、迷いなく、新潟へ足を向けた。

幸運にも、あるNGOの緊急支援担当を
任せていただき、
募金を持って、新潟と東京を行ったり来たり
させていただいた。



地震の被害現場で、私は多くの事を
学ばせていただきました。
「誰かのため」は
結局、「自分のため」に繋がっているのだなぁ、と
今更ながら、実感。^^;


「報道では、本当に困っている方のことを
必ずしも、伝えていない。」という
それまである程度信じていた
「報道イコール真実」を
考え直させられた事も、
地震の現場でした。
これは、本当に、自分の中で
大きな価値観の転換だったと思う。

「支援は、必ずしも、最も必要なところを
サポートしている訳ではない」という、
直視するにはやるせない、
行政や、支援団体の、組織としての限界も
現場では、はっきりと、露呈していた。

「市民が動いて、変えていく事」の大切さ。
それに気づかせていただいた。


新潟には、もう3年ほど、行けていないのですが
阪神大震災から16年目の今日、
新たに、気を引き締められる思いです。
この時、「ありがとう」と
被災者の方々が見せて下さった、
たくさんの笑顔が、今でも私の中で
宝物のように、輝いています。


今日も、初心に戻って、
いい仕事をして参ります --m

16年目の神戸に、光が降りそそぎますように・・