2009/10/27

3世代にわたるセンソウの傷


吉田孝子さんのお話を伺いました。吉田さんは言います。
「なにも前線で戦っている兵士たちの話ばかりが、戦争じゃない。まったく関係のない、一番弱い立場の子どもにも、全てが降りかかってくるのが、戦争です。」と。
そして、言われます。「戦争の傷というものは、終わらない。うちは、親子3代にわたり、戦争をひきずりました」吉田さんのおじいさまは、60年以上、金庫職人をされていたけど、戦争が激しくなり「鉄は全て政府に供出するように。。」と工場を閉鎖においやられました。
そこで働いていた、吉田さんのお父様。さまざまな職についても、そのたび、召集令状が届き、出兵。
3度も出兵を経験させられ、「満州の軍備につけば、もう出兵はない」と聞かされます。
「家族一緒にいられるから。安定した暮らしができるから。」と、吉田さん一家は、満州に行く事を選びます。(病弱だった吉田さんは、一人、日本に残された。)
が、兵隊が足りないとの事で、結局また、お父さんの元に、召集令状が。。お父様は結局、合計4回もの召集を受け、4度目の出兵時に、シベリアで亡くなられたそうです。
吉田さんは、一人、家族と離れ、疎開に出されます。小学校では「疎開の子」といじめにあい、家族を思って、一人泣く日が続いたそうです。「たとえ死んでもよいから、家族と一緒がよかった。」と思うくらい、辛い思いをしたそうです。吉田さんは、お話をしてくださる中で、何度も涙目になっておられました。

吉田さんからお聞きした、戦前の様子は、仕事がなく、どんどん市民が戦争においやられていく怖さを感じさせました。そして、なんだか今の空気に似てはしまいか?とふと、現代の日本を見つめさせられるのでした。ネットカフェで暮らす人たち。ホームレス。派遣ぎり。リストラ。どんどん増えているといわれます。もし、今、9条が変わったとして、「派兵に参加する」という仕事の選択肢ができた場合。。「これしか職がない。高収入だから。」とやむなく参加する方も、多いのではないか?と思います。(その派兵も「国際貢献」「平和を守るため」と、美名のキャッチフレーズで宣伝されるのが、戦争の常でしょう。歴史が証明しています)
そんな事態が来る前に、64年前の戦争体験者の話を、私達はしっかり聞いて、じっくりまずは、過去から学び、考える必要があると思います。吉田さん、貴重なお話ありがとうございました