みなさまのおかげで、ぶじ、終了いたしました。ありがとうございました
8月2日に、アフガニスタンのお話をさせていただきます
近隣の方、ぜひ、遊びにいらしてくださいね♪高校生以下、無料です・・!
☆8月2日 宮城県
時間; 午後1時30分~3時30分
場 所:エルパーク仙台セミナーホール
主 催:ペシャワール会をみやぎから応援する会
入場料:300円 高校生以下無料
http://www6.plala.or.jp/peshawar-miyagi/index.html
(最下部の「インフフォメーション・コーナー」に、詳細あり)
2009/07/31
2009/07/30
2009/07/28
香川の方は、ぜひ
http://mytown.asahi.com/kagawa/news.php?k_id=38000000907280002(2009・7・29 朝日新聞)
高松市では、この時期には毎年、市役所で、高松空襲の資料展示を行う。
すばらしいことです。小学生も、お母さんと一緒に、手をつないで、見入っていました。
また、目をひくのが、インドネシア・ビアク島で行われた、
日本兵の遺骨収集の写真や、現地で見つかった品々の展示。これは、貴重な資料。必見です!
サダエさん
昨日、高松空襲の体験を伺いに、岩部サダエさまを、お訪ねしました
満89歳の岩部さん。
「魔法の9」が新聞に掲載されていたのを見て、新聞社に真っ先に連絡をくださったのが、岩部さん。
「私も、90歳を前に、空襲体験を人に話しておきたい」と。
予定続きで、なかなか伺えずにいて、ようやく昨日お会いできました。
「空襲時に、アメリカ軍は焼夷弾と一緒に、油を蒔いていた。服に油のしみがついていたので
後から気づいた」
「青黄色の、火の玉が落ちてくると、恐くて恐くて、もう、腰が抜けて動けなくなる」
と、空襲時の恐怖を反芻して、再度、かみしめておられました。
岩部さんと戦時をともにされた、ご両親・お兄さん・弟さんは、直接に空襲被害を受けずに済んだが、みな既に、他界。「もう、私1人になりました」と淋しげに呟いたのが、心に残っています。
辛く、むごい体験も、岩部さんの中では、大切な、ご家族の絆と結びついている
「戦争は、絶対にダメです」何度も繰り返された。
2時間半もの長い間、一息に、空襲当時の話をされ、こちらが
体調を心配して、途中休憩を、何度か申し出たほど。
64年前の思いが、あふれでるようだ。
その「話しておきたい」という思いは、どこから、来るのでしょうか?と尋ねてみると
不思議そうな顔をして、こうおっしゃった。
「だって・・・ここと、ここに、あるんですよ。」
自らの頭と、胸を指さした。もどかしそうに。
見渡す限り、火の海となった街。
転がっている死体。
「2度と忘れられない光景だ」と、何度も何度も、小さな声でおっしゃっていた。
お別れする際「こうして、お会いできたのも、何かのご縁です・・!いつでも、お茶を飲みに来てね。私、リハビリの日以外は、家にいますからね・・!」寂しそうに見えた。
また、必ず、顔を出します
ありがとうございます
2009/07/26
講演会「故郷へ帰してくれ ~野ざらし兵士 半世紀の訴えが聞こえる~ 」 に参加
みなさま、お元気ですか?香川は、雨で蒸してます(^^;)
今日は、約4kgの三脚やカメラを抱えてマリリン号(自転車)に乗ったはいいけど、大雨・・
普段、45分で行ける道が、1時間かかり、講演会に少々、遅刻してしまいました(^^;)
大粒の雨に、カメラを守るのに必死で、気が気ではなかったです。
無理は、いかんですね。良い教訓を得ました。
さて、貴重なお話でした
講師は、ニューギニア・ビアク島で、日本兵の遺骨収集調査をされている、NPO法人 太平洋戦史館の会員 横山邦彦さん。
ちなみに、ニューギニアは、日本軍 全滅の島 と言われ、兵士の90%が、餓死か病死だそうです
元新聞記者の経歴を持たれる横山さんは、こう自己紹介されました
「3年前、ニューギニアを訪れて、見たものが、あまりにも凄まじかった。人間としての義務として、私は、およそ、今までの自分の経歴と、かけ離れたことを、やっています」
ニューギニアは、いまだ、遺骨が、きれいな状況(身体がはっきりと分かる形態)で残っている、珍しい地といえるそうだ。
それは、うつむきに倒れ、そのまま、息絶えた・・という状況が、想像できるくらい、頭蓋骨・身体・そして、裏向きの靴底まで、あるそうです。
それが、ちょっと、土を払う程度で、ごろごろ出てくるようです。
横山さんは、「こんなことが、許されていいのか。大半が、赤紙一枚で、(兵士として)召し上げられ、出てこなければ(出兵しなければ)懲罰が待っていた。そんなご時世だった。
挙句の果てが、これか!」と相当なショックを受けられたそうです。
半世紀もの間、野ざらしで、弔いを受けることのない、骨・骨・骨・・・
それは、かつては、誰かの子であり、誰かの家族であり、誰かの恋人であっただろうに・・
同行した女性は、あまりの惨状に、その場でひれ伏して「むごい・むごすぎる・・!」と泣いたそうです。
この遺骨は、当然、個人が勝手に持ち出すことはできないそうです。
日本政府に働きかけて、政府が、しかるべき手続きをしないと、持ち帰ることが、できないのだと。
横山さんたちは、死者を人間らしく、故郷に帰還してもらえるように、このことを周知し、政府への働きかけを続けておられます。
(日本政府は「遺骨収集は、ほぼ、おおむね、終了」と発表し、収集事業を、積極的に 行うことは、とうに、終えてしまっているようです。莫大な数のご遺体が、故郷帰還できず、放置されているにも関わらず。。)
さて、図書館で借りてきた、ニューギニアでの戦場体験を書いた「鳥の詩~死の島からの生還 著:三橋国民」のあとがきに、
こんな記述を見つけました。
著者の三橋さんが、1989年に、かつての戦場であったニューギニアに、ふたたび訪れた時の話です。
(以下、引用)
~各島での慰霊祭を終えた後、(現地の)ソロン県知事ジョウゴ・プルノモアデイ氏は、交歓パーティーの席上で、
「皆さん、やっと来てくれましたね。この地で、密林の土くれとなり50年も放置されている日本兵のために、ひたすら冥福を祈ってあげてください。彼らはいまだに戦跡のあちこちで亡霊となって現われ、土地の人々を驚かせています。
戦争そのもが、罪悪であるのは、どこの国のひとも知り尽くしています。
だが、不幸にも戦場に狩りだされ、祖国のために殉じた兵士は「英霊」として丁重に弔われるべきであります~(略)」
そして、被害を受けた側である現地の人間である彼は、こう言ったそうです
「~私はこの地で、散華した(命を落とした)日本兵の「慰霊碑」建立のために、インドネシア国国有地を無償で供与することに、いたしました」
前田は、来週、このニューギニアでの遺骨調査の詳細を伺いに太平洋戦史館http://www14.plala.or.jp/senshikan/さまを、訪ねる予定です。
日本は、9条を変える前に、もっともっと知らなくてはならない事実が、あるように、思えます
今日は、約4kgの三脚やカメラを抱えてマリリン号(自転車)に乗ったはいいけど、大雨・・
普段、45分で行ける道が、1時間かかり、講演会に少々、遅刻してしまいました(^^;)
大粒の雨に、カメラを守るのに必死で、気が気ではなかったです。
無理は、いかんですね。良い教訓を得ました。
さて、貴重なお話でした
講師は、ニューギニア・ビアク島で、日本兵の遺骨収集調査をされている、NPO法人 太平洋戦史館の会員 横山邦彦さん。
ちなみに、ニューギニアは、日本軍 全滅の島 と言われ、兵士の90%が、餓死か病死だそうです
元新聞記者の経歴を持たれる横山さんは、こう自己紹介されました
「3年前、ニューギニアを訪れて、見たものが、あまりにも凄まじかった。人間としての義務として、私は、およそ、今までの自分の経歴と、かけ離れたことを、やっています」
ニューギニアは、いまだ、遺骨が、きれいな状況(身体がはっきりと分かる形態)で残っている、珍しい地といえるそうだ。
それは、うつむきに倒れ、そのまま、息絶えた・・という状況が、想像できるくらい、頭蓋骨・身体・そして、裏向きの靴底まで、あるそうです。
それが、ちょっと、土を払う程度で、ごろごろ出てくるようです。
横山さんは、「こんなことが、許されていいのか。大半が、赤紙一枚で、(兵士として)召し上げられ、出てこなければ(出兵しなければ)懲罰が待っていた。そんなご時世だった。
挙句の果てが、これか!」と相当なショックを受けられたそうです。
半世紀もの間、野ざらしで、弔いを受けることのない、骨・骨・骨・・・
それは、かつては、誰かの子であり、誰かの家族であり、誰かの恋人であっただろうに・・
同行した女性は、あまりの惨状に、その場でひれ伏して「むごい・むごすぎる・・!」と泣いたそうです。
この遺骨は、当然、個人が勝手に持ち出すことはできないそうです。
日本政府に働きかけて、政府が、しかるべき手続きをしないと、持ち帰ることが、できないのだと。
横山さんたちは、死者を人間らしく、故郷に帰還してもらえるように、このことを周知し、政府への働きかけを続けておられます。
(日本政府は「遺骨収集は、ほぼ、おおむね、終了」と発表し、収集事業を、積極的に 行うことは、とうに、終えてしまっているようです。莫大な数のご遺体が、故郷帰還できず、放置されているにも関わらず。。)
さて、図書館で借りてきた、ニューギニアでの戦場体験を書いた「鳥の詩~死の島からの生還 著:三橋国民」のあとがきに、
こんな記述を見つけました。
著者の三橋さんが、1989年に、かつての戦場であったニューギニアに、ふたたび訪れた時の話です。
(以下、引用)
~各島での慰霊祭を終えた後、(現地の)ソロン県知事ジョウゴ・プルノモアデイ氏は、交歓パーティーの席上で、
「皆さん、やっと来てくれましたね。この地で、密林の土くれとなり50年も放置されている日本兵のために、ひたすら冥福を祈ってあげてください。彼らはいまだに戦跡のあちこちで亡霊となって現われ、土地の人々を驚かせています。
戦争そのもが、罪悪であるのは、どこの国のひとも知り尽くしています。
だが、不幸にも戦場に狩りだされ、祖国のために殉じた兵士は「英霊」として丁重に弔われるべきであります~(略)」
そして、被害を受けた側である現地の人間である彼は、こう言ったそうです
「~私はこの地で、散華した(命を落とした)日本兵の「慰霊碑」建立のために、インドネシア国国有地を無償で供与することに、いたしました」
前田は、来週、このニューギニアでの遺骨調査の詳細を伺いに太平洋戦史館http://www14.plala.or.jp/senshikan/さまを、訪ねる予定です。
日本は、9条を変える前に、もっともっと知らなくてはならない事実が、あるように、思えます
2009/07/25
今日、TV番組「OH!元気印」にでます♪
今日、以下のTV番組に、出ます
25日(土)15:45~16:00 OHK放送
「OH! 元気印」
http://www.clubohk.tv/blog/takeshita/diary/1248259073632/
今の私の活動(アフガンのお話会や、映画製作)をとりあげていただきました
よかったら、ご覧くださいませ♪
(OHKは、フジ系列の、岡山・香川のローカル局です。県外の方、ローカルの話題でごめんなさい)
25日(土)15:45~16:00 OHK放送
「OH! 元気印」
http://www.clubohk.tv/blog/takeshita/diary/1248259073632/
今の私の活動(アフガンのお話会や、映画製作)をとりあげていただきました
よかったら、ご覧くださいませ♪
(OHKは、フジ系列の、岡山・香川のローカル局です。県外の方、ローカルの話題でごめんなさい)
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