2009/07/31

仙台でお話します♪

みなさまのおかげで、ぶじ、終了いたしました。ありがとうございました

8月2日に、アフガニスタンのお話をさせていただきます
近隣の方、ぜひ、遊びにいらしてくださいね♪高校生以下、無料です・・!

☆8月2日 宮城県    
時間; 午後1時30分~3時30分  
場 所:エルパーク仙台セミナーホール       
主 催:ペシャワール会をみやぎから応援する会       
入場料:300円 高校生以下無料
http://www6.plala.or.jp/peshawar-miyagi/index.html 
(最下部の「インフフォメーション・コーナー」に、詳細あり)

東京より


久々の東京に来ています

取材で九段下にある、靖国神社と、
しょうけい館http://www.shokeikan.go.jp/top/index.htmlを、さっと訪問。
しょうけい館で見れる「傷痍軍人の証言映像」は、とても貴重ですばらしいです。
学芸員の方、とても親切で、撮影に関するこぼれ話を聞かせていただきました
ありがとうございます・・!
明日から、仙台入りします

2009/07/30

朝の4時から・・


8月2日に、宮城県仙台市で、アフガンのお話をさせていただきます・・!
この日に販売させていただく、アフガニスタン・チャリティー・クッキーを、朝の4時から焼いてました。
うわぁ~ さすがに少し、つかれたよぉ~(^^)

2009/07/28

香川の方は、ぜひ

香川県では、高松市戦争遺品展が、市役所1階・市民ホールで展示中です・・!
http://mytown.asahi.com/kagawa/news.php?k_id=38000000907280002(2009・7・29 朝日新聞)
高松市では、この時期には毎年、市役所で、高松空襲の資料展示を行う。
すばらしいことです。小学生も、お母さんと一緒に、手をつないで、見入っていました。

(高松空襲で破壊された街の写真や戦争の遺品が並んでいます)

また、目をひくのが、インドネシア・ビアク島で行われた、
日本兵の遺骨収集の写真や、現地で見つかった品々の展示。これは、貴重な資料。必見です!
(収集された水筒。持ち主の名前が彫られた遺品)

サダエさん


昨日、高松空襲の体験を伺いに、岩部サダエさまを、お訪ねしました
満89歳の岩部さん。
「魔法の9」が新聞に掲載されていたのを見て、新聞社に真っ先に連絡をくださったのが、岩部さん。
「私も、90歳を前に、空襲体験を人に話しておきたい」と。
予定続きで、なかなか伺えずにいて、ようやく昨日お会いできました。
「空襲時に、アメリカ軍は焼夷弾と一緒に、油を蒔いていた。服に油のしみがついていたので
後から気づいた」
「青黄色の、火の玉が落ちてくると、恐くて恐くて、もう、腰が抜けて動けなくなる」
と、空襲時の恐怖を反芻して、再度、かみしめておられました。
岩部さんと戦時をともにされた、ご両親・お兄さん・弟さんは、直接に空襲被害を受けずに済んだが、みな既に、他界。「もう、私1人になりました」と淋しげに呟いたのが、心に残っています。
辛く、むごい体験も、岩部さんの中では、大切な、ご家族の絆と結びついている

「戦争は、絶対にダメです」何度も繰り返された。

2時間半もの長い間、一息に、空襲当時の話をされ、こちらが
体調を心配して、途中休憩を、何度か申し出たほど。
64年前の思いが、あふれでるようだ。
その「話しておきたい」という思いは、どこから、来るのでしょうか?と尋ねてみると
不思議そうな顔をして、こうおっしゃった。

「だって・・・ここと、ここに、あるんですよ。」
自らの頭と、胸を指さした。もどかしそうに。
見渡す限り、火の海となった街。
転がっている死体。
「2度と忘れられない光景だ」と、何度も何度も、小さな声でおっしゃっていた。

お別れする際「こうして、お会いできたのも、何かのご縁です・・!いつでも、お茶を飲みに来てね。私、リハビリの日以外は、家にいますからね・・!」寂しそうに見えた。

また、必ず、顔を出します
ありがとうございます

2009/07/26

講演会「故郷へ帰してくれ ~野ざらし兵士 半世紀の訴えが聞こえる~ 」 に参加

みなさま、お元気ですか?香川は、雨で蒸してます(^^;)
今日は、約4kgの三脚やカメラを抱えてマリリン号(自転車)に乗ったはいいけど、大雨・・
普段、45分で行ける道が、1時間かかり、講演会に少々、遅刻してしまいました(^^;)
大粒の雨に、カメラを守るのに必死で、気が気ではなかったです。
無理は、いかんですね。良い教訓を得ました。

さて、貴重なお話でした
講師は、ニューギニア・ビアク島で、日本兵の遺骨収集調査をされている、NPO法人 太平洋戦史館の会員 横山邦彦さん。
ちなみに、ニューギニアは、日本軍 全滅の島 と言われ、兵士の90%が、餓死か病死だそうです
元新聞記者の経歴を持たれる横山さんは、こう自己紹介されました
「3年前、ニューギニアを訪れて、見たものが、あまりにも凄まじかった。人間としての義務として、私は、およそ、今までの自分の経歴と、かけ離れたことを、やっています」
ニューギニアは、いまだ、遺骨が、きれいな状況(身体がはっきりと分かる形態)で残っている、珍しい地といえるそうだ。
それは、うつむきに倒れ、そのまま、息絶えた・・という状況が、想像できるくらい、頭蓋骨・身体・そして、裏向きの靴底まで、あるそうです。
それが、ちょっと、土を払う程度で、ごろごろ出てくるようです。
横山さんは、「こんなことが、許されていいのか。大半が、赤紙一枚で、(兵士として)召し上げられ、出てこなければ(出兵しなければ)懲罰が待っていた。そんなご時世だった。
挙句の果てが、これか!」と相当なショックを受けられたそうです。
半世紀もの間、野ざらしで、弔いを受けることのない、骨・骨・骨・・・
それは、かつては、誰かの子であり、誰かの家族であり、誰かの恋人であっただろうに・・
同行した女性は、あまりの惨状に、その場でひれ伏して「むごい・むごすぎる・・!」と泣いたそうです。

この遺骨は、当然、個人が勝手に持ち出すことはできないそうです。
日本政府に働きかけて、政府が、しかるべき手続きをしないと、持ち帰ることが、できないのだと。
横山さんたちは、死者を人間らしく、故郷に帰還してもらえるように、このことを周知し、政府への働きかけを続けておられます。
(日本政府は「遺骨収集は、ほぼ、おおむね、終了」と発表し、収集事業を、積極的に 行うことは、とうに、終えてしまっているようです。莫大な数のご遺体が、故郷帰還できず、放置されているにも関わらず。。)


さて、図書館で借りてきた、ニューギニアでの戦場体験を書いた「鳥の詩~死の島からの生還 著:三橋国民」のあとがきに、
こんな記述を見つけました。
著者の三橋さんが、1989年に、かつての戦場であったニューギニアに、ふたたび訪れた時の話です。
(以下、引用)

~各島での慰霊祭を終えた後、(現地の)ソロン県知事ジョウゴ・プルノモアデイ氏は、交歓パーティーの席上で、
「皆さん、やっと来てくれましたね。この地で、密林の土くれとなり50年も放置されている日本兵のために、ひたすら冥福を祈ってあげてください。彼らはいまだに戦跡のあちこちで亡霊となって現われ、土地の人々を驚かせています。
戦争そのもが、罪悪であるのは、どこの国のひとも知り尽くしています。
だが、不幸にも戦場に狩りだされ、祖国のために殉じた兵士は「英霊」として丁重に弔われるべきであります~(略)」


そして、被害を受けた側である現地の人間である彼は、こう言ったそうです
「~私はこの地で、散華した(命を落とした)日本兵の「慰霊碑」建立のために、インドネシア国国有地を無償で供与することに、いたしました」


前田は、来週、このニューギニアでの遺骨調査の詳細を伺いに太平洋戦史館http://www14.plala.or.jp/senshikan/さまを、訪ねる予定です。
日本は、9条を変える前に、もっともっと知らなくてはならない事実が、あるように、思えます

2009/07/25

今日、TV番組「OH!元気印」にでます♪

今日、以下のTV番組に、出ます

25日(土)15:45~16:00 OHK放送
「OH! 元気印」

http://www.clubohk.tv/blog/takeshita/diary/1248259073632/
今の私の活動(アフガンのお話会や、映画製作)をとりあげていただきました
よかったら、ご覧くださいませ♪
(OHKは、フジ系列の、岡山・香川のローカル局です。県外の方、ローカルの話題でごめんなさい)