2009/07/26

講演会「故郷へ帰してくれ ~野ざらし兵士 半世紀の訴えが聞こえる~ 」 に参加

みなさま、お元気ですか?香川は、雨で蒸してます(^^;)
今日は、約4kgの三脚やカメラを抱えてマリリン号(自転車)に乗ったはいいけど、大雨・・
普段、45分で行ける道が、1時間かかり、講演会に少々、遅刻してしまいました(^^;)
大粒の雨に、カメラを守るのに必死で、気が気ではなかったです。
無理は、いかんですね。良い教訓を得ました。

さて、貴重なお話でした
講師は、ニューギニア・ビアク島で、日本兵の遺骨収集調査をされている、NPO法人 太平洋戦史館の会員 横山邦彦さん。
ちなみに、ニューギニアは、日本軍 全滅の島 と言われ、兵士の90%が、餓死か病死だそうです
元新聞記者の経歴を持たれる横山さんは、こう自己紹介されました
「3年前、ニューギニアを訪れて、見たものが、あまりにも凄まじかった。人間としての義務として、私は、およそ、今までの自分の経歴と、かけ離れたことを、やっています」
ニューギニアは、いまだ、遺骨が、きれいな状況(身体がはっきりと分かる形態)で残っている、珍しい地といえるそうだ。
それは、うつむきに倒れ、そのまま、息絶えた・・という状況が、想像できるくらい、頭蓋骨・身体・そして、裏向きの靴底まで、あるそうです。
それが、ちょっと、土を払う程度で、ごろごろ出てくるようです。
横山さんは、「こんなことが、許されていいのか。大半が、赤紙一枚で、(兵士として)召し上げられ、出てこなければ(出兵しなければ)懲罰が待っていた。そんなご時世だった。
挙句の果てが、これか!」と相当なショックを受けられたそうです。
半世紀もの間、野ざらしで、弔いを受けることのない、骨・骨・骨・・・
それは、かつては、誰かの子であり、誰かの家族であり、誰かの恋人であっただろうに・・
同行した女性は、あまりの惨状に、その場でひれ伏して「むごい・むごすぎる・・!」と泣いたそうです。

この遺骨は、当然、個人が勝手に持ち出すことはできないそうです。
日本政府に働きかけて、政府が、しかるべき手続きをしないと、持ち帰ることが、できないのだと。
横山さんたちは、死者を人間らしく、故郷に帰還してもらえるように、このことを周知し、政府への働きかけを続けておられます。
(日本政府は「遺骨収集は、ほぼ、おおむね、終了」と発表し、収集事業を、積極的に 行うことは、とうに、終えてしまっているようです。莫大な数のご遺体が、故郷帰還できず、放置されているにも関わらず。。)


さて、図書館で借りてきた、ニューギニアでの戦場体験を書いた「鳥の詩~死の島からの生還 著:三橋国民」のあとがきに、
こんな記述を見つけました。
著者の三橋さんが、1989年に、かつての戦場であったニューギニアに、ふたたび訪れた時の話です。
(以下、引用)

~各島での慰霊祭を終えた後、(現地の)ソロン県知事ジョウゴ・プルノモアデイ氏は、交歓パーティーの席上で、
「皆さん、やっと来てくれましたね。この地で、密林の土くれとなり50年も放置されている日本兵のために、ひたすら冥福を祈ってあげてください。彼らはいまだに戦跡のあちこちで亡霊となって現われ、土地の人々を驚かせています。
戦争そのもが、罪悪であるのは、どこの国のひとも知り尽くしています。
だが、不幸にも戦場に狩りだされ、祖国のために殉じた兵士は「英霊」として丁重に弔われるべきであります~(略)」


そして、被害を受けた側である現地の人間である彼は、こう言ったそうです
「~私はこの地で、散華した(命を落とした)日本兵の「慰霊碑」建立のために、インドネシア国国有地を無償で供与することに、いたしました」


前田は、来週、このニューギニアでの遺骨調査の詳細を伺いに太平洋戦史館http://www14.plala.or.jp/senshikan/さまを、訪ねる予定です。
日本は、9条を変える前に、もっともっと知らなくてはならない事実が、あるように、思えます