2010/05/07

63年前、日本の初心

以下の中日新聞の社説に、激しく、同意します。
いい記事です・・! (T T)

初心をいまに生かす 憲法記念日に考える
(2010年5月3日 中日新聞より、以下、転載)

 長い戦争から解放され、人々は新しい憲法を歓迎しました。
その“初心”実現に向けて積極的理念を
世界に発信できるか、日本の英知が試されます。

 米軍普天間飛行場の移設問題が迷走し、
憲法改正国民投票法の施行が十八日に迫る中で
今年も憲法記念日を迎えました。
この状況は非武装平和宣言の第九条を
とりわけ強く意識させます。

 日本国憲法の公布は一九四六年十一月三日、
施行は翌年五月三日でした。

当時の新聞には「日本の夜明け」「新しい日本の出発」
「新日本建設の礎石」「平和新生へ道開く」
など新憲法誕生を祝う見出しが並んでいます。

新しい歴史を刻む息吹
 長かった戦争のトンネルからやっと抜け出せた人々の、
新たな歴史を刻もうとする息吹が紙面から伝わってきます。
新生日本の初心表明ともいえるでしょう。

 あれから六十年余、日本は武力行使により
一人も殺すことなく、殺されることもなく過ごしてきました。
憲法の力が働いていることは明らかです。

 しかし、現代日本人、特に本土に住む人たちの胸には
先人の思いがどれほどとどまっているのでしょう。
少なくとも国内は平和で、戦争を体験した世代も少なくなり、
憲法の効果を日常的に意識することはありません。
憲法は空気のような存在になっています。

 「初心忘るべからず」と言いますが、忘れてはいけない
初心が次世代にきちんと継承されているでしょうか。

 かつて沖縄県民は「平和憲法の下へ帰りたい」と
島ぐるみで粘り強い復帰運動を展開しました。
そのかいあって七二年にやっと復帰が実現し、
米軍による支配から脱したものの、
四十年近くたった今でも県民の熱望は
「憲法の恩恵に浴する」ことです。

沖縄を犠牲にした平和
 幼い子どもが最初に覚えた言葉は「怖い!」だった。

 沖縄で基地問題を取材している記者が
本土の記者に披露した余話です。
母親が米軍機の爆音を聞くたびに発した言葉でした。

 普天間飛行場や嘉手納基地で離着陸する
米軍機の轟音(ごうおん)、迷彩服で公道を行進する米兵、
多発する軍人犯罪…沖縄に残る現実は、
太平洋戦争末期に島内全域で行われた
地上戦を思い起こさせます。
憲法誕生時、多くの日本人が抱いた
初心の背景と似ています。

 復帰後、本土では立川、調布、朝霞など
米軍の施設・区域が次々返還され大幅に縮小しましたが、
沖縄には日本全体の米軍基地の面積で74%が集中し、
県土の10%は基地です。

 本土の人たちが享受している平和と安定は、
こうした負担、犠牲の上に築かれていることに
気づかなければなりません。
基地の存在自体を根本から問い直してみることも必要でしょう。

 身動きもままならない管理社会態勢、
拡大し定着する格差、
それらがもたらす閉塞(へいそく)感で生まれる不満と不安…
関心はもっぱら自分を守ることに向かい、
大きな視野が失われがちです。

 その間隙(かんげき)をついて一部で戦史の書き換えが進み、
あの戦争を容認し、美化する動きさえあります。
他方で自衛隊は世界有数の軍事力を持ち、
海外派遣が当たり前のようになっています。

 いまこそ憲法が生まれた歴史的背景、経緯を正しく語り伝え、
六十年前の初心を再確認しなければなりません。

 憲法前文には「平和を愛する諸国民の
公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を
保持しようと決意した」とあります。

 制定者の念頭には諸国民の先頭に立つ

日本の姿がありましたが、いまだに戦火と混乱に苦しむ人々が
世界各地にいます。
沖縄の基地はそれと無縁ではありません。

 第九条を自国に対する制約と考えるのではなく、
日本国憲法の有する普遍的価値を
国際社会に向かって発信してゆくことが、
日本には求められます。

 北朝鮮が核実験を行い、中国が軍拡路線を歩む一方で、
米ロが核軍縮に取り組もうとしているだけに
日本の姿勢が問われます。

 鳩山由紀夫首相は核安保サミットで
「核廃絶の先頭に立つ」と誓い、
民主党は東アジア共同体構想を掲げました。

 構想の詳細は不明確ですが、これらは歴代政権が
無視してきた九条の理念を構築する
足がかりになるかもしれません。

存在感の肥大化を防ぐ
 歴史の産物であり教訓である憲法の将来を考えるには、
現実に流されたつじつま合わせではなく、
過去を緻密(ちみつ)に検証したうえでの議論が欠かせません。

 歴史に学んで第九条の現代的意味を追求し続けることが、
改正手続きを定めた国民投票法の存在感肥大化、
独り歩きを防ぎます。
(以上、転載おわり)