2009/09/24

タケ子さん


今日、約一年ぶりに、タケ子さんにお電話しました。


タケ子さんは、今はうちの近くの香川県高松市に住んでいますが
1945年当時、広島に住んでおり、被爆されました。

8月6日の早朝、タケ子さんは、工場での夜勤を終え、自宅に帰り、眠りに就こうとした。夏の太陽は、朝と言えど強く、暑くて、寝つけない。水でも一杯・・・と、台所に向かう途中で、ものすごい閃光とともに、爆風が・・「一瞬にして、家の壁や屋根は吹き飛んだのだろう・・」と、お話してくれながら、当時を振り返る。あまりの異常な出来事に、その瞬間の記憶が飛んでいるという。次に残っている記憶は、すべての建物がなくなり、焼け野が原になった家から、普段は見えるはずもなかった、広島駅が、その場所から臨めた。建物という建物は、棒や鉄筋が歪んだ奇妙な塊に、すべて変わっていた。

命からがら逃げ惑い、飛び込んだ池の中で溺れ死にそうになりながら、なんとか母との再会を果たした。
・・が、何日も探したが、父と弟は、2度と帰ってこなかった。。。

タケ子さんは、あれから64年たった今でも、
「父も弟も、まだ、帰って来ません・・」と表現される。
当然だ。
遺体を、自らの目で確認するまでは、家族の帰りを待つしかない。
それが肉親というものだ。


今日、一年ぶりに聞いた、タケ子さんのお声が、暗くて少し、驚いた
「お元気ですか?お身体、大丈夫ですか?」
思わず、そう聞いてしまった

「大丈夫でない。。 夫が死んだ。。。」
搾り出すような声が、受話器から聞こえた。

驚いた。直接だんなさんお会いしたことはなかったけど
仲良く暮らされているのを、知っていた。
先月、お亡くなりになって、さまざまな諸事に追われていた。
今は、心労で寝ていると、そう話す。

「そうでしたか。どうぞ、ゆっくり、休まれてください・・」
そっと、お電話を失礼した。

タケ子さんの心と身体に、また活力が、充満されるその日まで、
どうぞ、ゆっくり、お休みください

私は、背筋が、伸びる思いであった。
時計の針は、止まることは、ない。
先の戦争を記録する、残された時間は、もうあまり、ないのかもしれない。
日々、時は進みつづけている。