2012/10/02

重慶からはるばる。

皆さま、台風一過で、すがすがしい快晴の
香川より、こんにちは。
相変わらず、映像編集で缶詰めです。

昨日は、、
中国の重慶爆撃の原告の方が
来日して、裁判が行われたのですが
前田、今回は東京行きを断念しました(^^;)

重慶爆撃の裁判は、私は2011年より
行われる度にほぼ毎回取材に出向かせていただいており、
昨年末は、重慶まで行かせていただき、
今回も編集から手が離せないながら
ひょい、と1日だけでも出向きたかったのですが・・

今回は、出発時に台風の大雨で交通機関が
止まっていたり・・で断念しました
(前日から出かけるのが常なのですが
この日、四国に台風が・・)

ご高齢の中国の方が、裁判所でせつせつと
訴える姿に、毎回胸をうたれ、
過去の戦争で、日本軍が行った事実について
改めて知り、考えさせられるのでした・・。

この「重慶爆撃」の後
中国と手を組んだアメリカ空軍は、
中国の飛行場を飛び立ち、
日本の本土に
帯重なる空からの空襲を仕掛けていき、
日本は、計らずもどんどん焼け野が原を拡げていきました。
そして、
やがては
広島と長崎への「原爆投下」
という形で、戦争は終結を迎えたわけであります。

自らが先に仕掛けた、空からの空襲が端を発し、
まるでブーメランが返ってきたかのように、
世界初の原爆投下という
何倍もの膨大な被害を
招く結果になってしまった・・。
なんと皮肉な結果であり、
一瞬にして命を奪われた多くの方々や
今なお後遺症に苦しんでおられる被曝者
の方々を思うと、なんとも言葉にできない
やるせなさを感じます。


「第二次世界大戦は、アメリカの石油・資源封じによる
陰謀により、日本は仕方なく戦争に踏み切った」と
信じておられる方も多いかと思いますが
もちろん、この石油封じも、事実です。
が、
上記の重慶爆撃の話は、それ以前に史実を遡っていただくと
容易に明らかになってきます。
(重慶爆撃についての本も出ています~)
よろしければ、ぜひ、調べてみて下さいね。

以下、ご参考までにてです!


●重慶爆撃について → クリック!
●今、日本で行われている、重慶爆撃の裁判について → クリック!

映画の中で「重慶爆撃」についてもちろん
触れて参ります。
では、今日も、励んで参ります・・!


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