2011/03/10

東京大空襲資料展

今日は、午前中、東京大空襲のあった、
隅田川近辺を歩いた。

ここで、たくさんの方が、火に焼かれて、
折り重なって、亡くなっていったのだ・・。
体験者の方の話では、川には、死体が
そこかしこに浮かんでおり、
炎から何とか逃れようと、
ビルの入り口に殺到した方々が、
そのまま劫火に焼かれ、ご遺体が
渦高く、山のように、
建物の前に折り重なっていたと・・。

朝の光の中、
浅草の朝は、平和な、いつも通り、
ゆたかな、日常だ。
(平和な、いつもの浅草の、朝。
映像ばかり撮っていて、今日の様子をお伝えする、
よい写真がなくて、ごめんなさない。><)

人々の日常を営む姿にほっとしながらも、
当時の方々の犠牲を思うと、
胸が、しめつけられるような、
思いがした。

それから、知人の方が、当時の様子を
お話しすると聞いており、会場の
浅草公会堂に、出向いた。
ここでは、東京大空襲を、実際に体験された
方々が中心になって、毎年、
東京大空襲資料展が行われている。

戦争の惨禍。
犠牲に合っているのは、いつも、市民であり、
特に身体の小さな子供や、高齢の方は、
真っ先に犠牲に合っている・・。

当時のことを、「若い世代に、伝えたい・・。」と、手弁当で
参加されている、体験者の皆さん、スタッフの皆さんに、
いろいろ教えていただき、改めて
65年前の東京大空襲が、
「生き地獄」だった事を、伺い知って、
背筋がぞっとする思いが、した。

午後は、急いで、衆議院議員会館に、移動。
昨日の、重慶爆撃の裁判に関する、
活動に、同行させていただいたのですが、
今日も大変貴重な体験を、させていただきました。
こちら、またじっくり、ご報告させていただきます・・!
(ご一緒させていただいた皆様、本当に
ありがとうございました・・!^^)

夕方、再び、急いで浅草に戻り、
空襲の惨禍の中にあったという、
言問橋へ。
「今日祈らなくては・・。」と強く思い、
なんとか、辺りが暗くなるまでに、戻る事が
できました・・!
夕暮れの中、犠牲に合われた
方々のご冥福を祈りました。

そして、アフガニスタンの子供たちを想った。
アフガンは、今も、日々、空爆の恐怖と
隣り合わせだ。

祈るだけでなく、さらに自分にできることを行って参りたい、と
思います
この2日間、たくさんのことを学ばせていただき、
書ききれない想いです。
とりあえず、少し仮眠しまっす