明らかに、地球温暖化の影響かと。。
犠牲者が多く出ている模様です
(死亡者167人と報道されました)
http://www.cnn.co.jp/world/CNN201002110003.html
アフガニスタンの首都カブールの北方にある
サラン峠で8日、連続発生した雪崩被害で、
同国内務省当局者は10日、
死亡者は167人に増えたと述べた。
負傷者は約200人で、これまで約2100人が助け出されている。
雪の下に依然埋もれている被害者の数は不明。
掘り起こされた車中で凍死していた犠牲者もいた。
数百台の車両が一時、雪の下敷きになったとされ、
峠の道路は通行不能となっている。
雪崩の威力はすさまじく、車が約200メートル押し流された例もあった。
発生した雪崩の回数は不明だが、20回以上との情報もある。
サラン峠は、首都カブールと北部のマザリシャリフ市を結ぶ交通の要衝。
サラン峠には、アフガンに軍事侵攻した
旧ソ連が1960年代に建設した
長さ約2600メートルのトンネルがあるが、
内部には雪崩に遭った車両が多数放置されているという。
国連、アフガンでの雪崩れと洪水による被災地に援助を
(2010-02-12 CRI online)
国連人道問題調整事務所は11日、
アフガニスタンで雪崩れと洪水により
大きな被害が出たことを受け、
今、これら被災地に対する人道的援助を
提供することについて、いま、関連機関と
調整中であることを明らかにしました。
この事務所は、アフガニスタン政府や
国際移民機構、世界食糧計画、国連児童基金と
世界保健機関などと連絡を取り、これら被災地に
食糧、避難設備と薬品などを提供することにしています。
2010/02/12
笠井さん、ありがとうございました
(笠井様、どうぞ、安らかにお眠りください。出逢えた幸運に心から感謝いたします)
以前お話を聞かせていただいた、
笠井さんが逝去されました。
私がニューギニアから帰国した7日に、ご親族の方から
ご連絡いただいたのですが
5日に、息をひきとられた、とお聞きしました。
(笠井さんは、魔法の9の予告編に出演してくださいました。
ありがとうございます)
今回、行かせていただいたニューギニアでの旅で
約15体のご遺体(ご遺骨)を
発見し、収容することができた。
私は撮影しかしていなくて、同行させていただいた
方々のご尽力の成果でしたが
それでも私はこの収容作業に
少しでも携われたことに、深い喜びを感じていた。
と、
帰国直後に、不意に笠井さんの訃報に触れ
突然の事に
一瞬、言葉をなくしてしまいました。
命。
限りあるもの。
当たり前のことなのに
なんと尊いことでしょう
なんと、はかなく、重いものでしょう。。
笠井さん、もう一度お会いしたかったです。
笠井さんからいただいた、たくさんの真心を
決して忘れずにいます。
どうぞ、安らかにお眠りください。
ありがとうございました。
2010/02/11
2010/02/10
知ること。

ニューギニアで撮影したテープの整理に励んでいます
できたらテレビ局に持ちかけてニュースとしてでも
知っていただけたら、とも考えています
戦後65年。今だ放置され続ける、
ご遺体(ご遺骨)の存在はもちろん、
同行させていただいたNPO法人 太平洋戦史館様
の活動も、多くの方(特に若い世代)に知っていただきたいと
願っています。
自分たちの家の敷地から、骨が出てくる状況に
現地の方々は、「清掃してほしい」と
おっしゃってました。
戦争で現地の方々に、犠牲を強いたことに加え、
「戦後処理・戦後補償」を十分に行ってこなかった日本の
姿が、現地の方々と接し、浮かび上がってきます。
日本政府は、今真剣にこの事を考えていただきたいと切に思います
2010/02/09
2010/02/08
2010/02/07
ただいま!~ニューギニアより帰国~
みなさま
いかがお過ごしでしょうか?
先ほど、ニューギニア巡礼(取材)旅より帰国。
関空に到着しました♪
ニューギニアはこの時期、
雨季の真っ只中にもかかわらず
必ず、私たちが動く直前に
ぴたりと雨が、やみました。
それは、奇跡といってもよいくらいの
完全なるタイミングで陽射しが
表れてきて、畏怖の念さえ
湧いて参りました
(今回、飛行機の移動を駆使したのですが
目的地に到着した途端、
雨が、ぴたりとやむことの
繰り返しでした。
下記の写真は、降り立った空港で
見上げた空。
雨がぴたりとやみ、
太陽が、こちらを見ていました。
おかげで、撮影が問題なくできました)
1週間の間
物理的にも
活動の多忙さにも押され
ネットカフェへのアクセスができず、
残念でしたが、
これから、見てきたことを
まとめていきます
西ニューギニアで
65年もの間、放置されてしまっていた
野ざらしのご遺体(白骨遺体)
との出会い
「伝えてくれ」と
そんな電波を前田は
そこかしこで、
感じました
死者たちの無念の思い
声にならないささめきを
脳裏にいつも感じ、
今回同行させていただいた
メンバーは、いつも
涙を目に滲ませていました
「兵隊さんが寂しくないように」
と、慰霊の唄をみんなで
捧げて参りました
(私は、撮影させていただいたのみですが(><)。。
同行させていただいた
太平洋戦史館のみなさま
本当にありがとうございました)
詳しくは、また、これから
まとめて参ります・・!
では、取り急ぎ、皆様のおかげで
実現した、ニューギニア渡航の帰着の
ご報告までにて
さらにさらに
生きている人間たちが
愛でつながっていくことを
夢見て、確信しながら。。
新たな決意とともに。
ありがとうございます
登録:
投稿 (Atom)